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軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
2024/05/30
軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
軍艦島の下に存在する西彼杵炭田
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのトシです。
皆さん、お元気ですか?
今回は炭坑の下に存在する炭田の話をしたいと思います。
軍艦島(端島)の下に存在する
西彼杵(にしそのぎ)炭田
が長崎の西側の海を南北に流れています。
言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属しています。
「西彼杵炭田」
西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半
島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。
これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑が大正
15
年に、第2坑が大正
4
年に、第
3
坑が明治
44
年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑は昭和
10
年、第
2
坑は昭和
15
年に開発された。
高島炭田の炭鉱
伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖
日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
16
年に開発された。
香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村
香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
27
年に操業開始された。
端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。
明治
23
年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。※
※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。
高島炭坑は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町
日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。
炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。
旧松浦炭坑事務所 現在 世知原炭鉱資料館となり北松炭鉱のまとめた資料館として活躍している。
キャップランプとバッテリーは炭坑マンの命綱。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。
崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。
崎戸炭鉱斜坑跡
崎戸炭坑ミュージアム
佐世保地区長崎北部には北松炭鉱を始め
沢山の炭鉱がありました。
崎戸炭鉱斜坑入り口
池島炭鉱
閉山が2001年で、九州最後の炭鉱ですので、最新の機械が沢山残っています。
人車に乗って鉱内を体験できるツアーがあり、ガイドさんの説明あり。
軍艦島ツアーの次に行かれる方が多くなっています。
このように長崎には沢山の 炭坑があったので、私もまだまだ行けてない炭坑もあります。
これからもできるだけ自分の目で感じるものを大事にして
フットワークでご紹介していきたいと思います。
それでは、そろそろ。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド トシでした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのトシです。
皆さん、お元気ですか?
今回は炭坑の下に存在する炭田の話をしたいと思います。
軍艦島(端島)の下に存在する
西彼杵(にしそのぎ)炭田
が長崎の西側の海を南北に流れています。
言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属しています。
「西彼杵炭田」
西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半
島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。
これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑が大正
15
年に、第2坑が大正
4
年に、第
3
坑が明治
44
年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑は昭和
10
年、第
2
坑は昭和
15
年に開発された。
高島炭田の炭鉱
伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖
日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
16
年に開発された。
香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村
香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
27
年に操業開始された。
端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。
明治
23
年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。※
※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。
高島炭坑は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町
日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。
炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。
旧松浦炭坑事務所 現在 世知原炭鉱資料館となり北松炭鉱のまとめた資料館として活躍している。
キャップランプとバッテリーは炭坑マンの命綱。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。
崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。
崎戸炭鉱斜坑跡
崎戸炭坑ミュージアム
佐世保地区長崎北部には北松炭鉱を始め
沢山の炭鉱がありました。
崎戸炭鉱斜坑入り口
池島炭鉱
閉山が2001年で、九州最後の炭鉱ですので、最新の機械が沢山残っています。
人車に乗って鉱内を体験できるツアーがあり、ガイドさんの説明あり。
軍艦島ツアーの次に行かれる方が多くなっています。
このように長崎には沢山の 炭坑があったので、私もまだまだ行けてない炭坑もあります。
これからもできるだけ自分の目で感じるものを大事にして
フットワークでご紹介していきたいと思います。
それでは、そろそろ。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド トシでした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのトシです。
皆さん、お元気ですか?
今回は炭坑の下に存在する炭田の話をしたいと思います。
軍艦島(端島)の下に存在する
西彼杵(にしそのぎ)炭田
が長崎の西側の海を南北に流れています。
言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属しています。
「西彼杵炭田」
西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半
島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。
これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑が大正
15
年に、第2坑が大正
4
年に、第
3
坑が明治
44
年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑は昭和
10
年、第
2
坑は昭和
15
年に開発された。
高島炭田の炭鉱
伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖
日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
16
年に開発された。
香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村
香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
27
年に操業開始された。
端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。
明治
23
年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。※
※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。
高島炭坑は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町
日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。
炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。
旧松浦炭坑事務所 現在 世知原炭鉱資料館となり北松炭鉱のまとめた資料館として活躍している。
キャップランプとバッテリーは炭坑マンの命綱。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。
崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。
崎戸炭鉱斜坑跡
崎戸炭坑ミュージアム
佐世保地区長崎北部には北松炭鉱を始め
沢山の炭鉱がありました。
崎戸炭鉱斜坑入り口
池島炭鉱
閉山が2001年で、九州最後の炭鉱ですので、最新の機械が沢山残っています。
人車に乗って鉱内を体験できるツアーがあり、ガイドさんの説明あり。
軍艦島ツアーの次に行かれる方が多くなっています。
このように長崎には沢山の 炭坑があったので、私もまだまだ行けてない炭坑もあります。
これからもできるだけ自分の目で感じるものを大事にして
フットワークでご紹介していきたいと思います。
それでは、そろそろ。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド トシでした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのトシです。
皆さん、お元気ですか?
今回は炭坑の下に存在する炭田の話をしたいと思います。
軍艦島(端島)の下に存在する
西彼杵(にしそのぎ)炭田
が長崎の西側の海を南北に流れています。
言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属しています。
「西彼杵炭田」
西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半
島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。
これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑が大正
15
年に、第2坑が大正
4
年に、第
3
坑が明治
44
年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第
1
坑は昭和
10
年、第
2
坑は昭和
15
年に開発された。
高島炭田の炭鉱
伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖
日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
16
年に開発された。
香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村
香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和
27
年に操業開始された。
端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。
明治
23
年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。※
※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。
高島炭坑は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町
日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。
炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。
旧松浦炭坑事務所 現在 世知原炭鉱資料館となり北松炭鉱のまとめた資料館として活躍している。
キャップランプとバッテリーは炭坑マンの命綱。
崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。
大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。
崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。
崎戸炭鉱斜坑跡
崎戸炭坑ミュージアム
佐世保地区長崎北部には北松炭鉱を始め
沢山の炭鉱がありました。
崎戸炭鉱斜坑入り口
池島炭鉱
閉山が2001年で、九州最後の炭鉱ですので、最新の機械が沢山残っています。
人車に乗って鉱内を体験できるツアーがあり、ガイドさんの説明あり。
軍艦島ツアーの次に行かれる方が多くなっています。
このように長崎には沢山の 炭坑があったので、私もまだまだ行けてない炭坑もあります。
これからもできるだけ自分の目で感じるものを大事にして
フットワークでご紹介していきたいと思います。
それでは、そろそろ。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド トシでした。
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