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2024/09/01

無煙炭と日本海軍燃料

無煙炭と日本海軍燃料

無煙炭と日本海軍燃料

無煙炭と日本海軍燃料


軍艦島デジタルミュージアムのトシです。

皆さんお変わりなくお元気でお過ごしでしょうか。

私のブログ内容は 一貫して日本の近代化について語って来ましたが

今回は、明治以来日本の近代化に大変貢献した「無煙炭」についてお話しします。

無煙炭とは石炭の中で最も炭化の進んだ石炭をいいます。

きっかけは先日歴史好きのお客様にこう言われたからです。

「日露戦争の時、ロシアの誇るバルチック艦隊との戦いで、日本が大勝利したのは

日本の戦艦は煙の出ない石炭を使用した為、敵からの発見が遅れたからですよね。」

そうですね、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の中にもその行は出てきますものね。


煙や匂いの全くしない石炭を無煙炭と言いますが、

それで今回は、そのテーマを史実に基づいたお話に纏めていきたいと思います。


まず石炭種類別に炭化が進んでいない順に泥炭、褐炭、亜瀝青炭、瀝青炭、無煙炭となります。

世界の石炭は3億6千年前の石炭紀にできたものですが、日本の場合もっと新しく2,300万年〜260万年前、新第三紀のものが多いのです。
無煙炭はもっと古く中世代三紀の物が多い。
日本では大嶺炭田(おおみねたんでん)舞鶴炭田(まいずるたんでん)が有名ですが、世界では、北朝鮮、アメリカ、ロシア、ベトナム、中国



tosi  。

 

大日本帝国 における燃料消費・需要に関する政治史的一考察

海軍の艦隊燃料は時代とともに石炭、 煉炭. を経て重油へ移行した。
第一次大戦後からは. 航空揮発油、 航空潤滑油の需要もうまれた。 ここでは海軍の燃料消費 ...

(金光男 著 · 2005 )

海軍の軍用炭自給問題、練炭使用の促進と大嶺炭田(おおみねたんでん)

その結果、能力通りの速力を出すことが可能となり、しかも排煙も薄くなった。
日本海軍は使用石炭においてもロシア海軍に比べて大きな優位を得て、勝利を挙げる。

                              
(茨城大学学術情報リポジトリよ)




トシ
日清戦争日露戦争で使用された 混合石炭 煉炭(佐世保海軍歴史資料館展示)

煉炭(れんたん)
煉炭の原料配合は規格に敵するように調整されていた。
粉炭は無煙炭90%、粘結性有煙炭10%
この割合で混合したもの煉結剤として
コールタールピッチ9ー11%混入した。


ちょうどその頃
八幡製鐡所は度重なる失敗を重ね第3次火入れを行うにあたり、
日本政府は
金属工学(冶金学)の第一人者である野呂影義(のろかげよし)に委託しました。
教え子でもある服部漸(すすむ)をメンバーに加え。
その後も高炉改良は頻繁に行われた。
技術者達の熟練と共に生産量も向上していきました。
この改良は西洋技術の延長線上にあるのではなく、
日本独自の技術が加えられ、熟成していきました。
これにより日本の高炉操業技術は確立され、1910年頃には
国内の銑鉄の67%鋼材の91%を生産出来るようになりました。

そして1910年ロンドンで行われた日英博覧会で展示された
メイド・イン・ジャパンの日本の鋼材が評価され、
世界から非西洋諸国初の産業国家として認められるようになり、
同年輸出に置いては日本の絹製品が中国を抜いて世界一となりました。

海軍で使用される石炭は熱量もあり、匂いも煙も出さない無煙炭と粘結炭の混合炭を使用した。
日露戦争後も海軍経営の無煙炭炭坑もたくさんできました。
大嶺炭田、舞鶴炭田は海軍の管理でした。
天草無煙炭は日本でも稀な良質炭で、かつ大部分が灰分10%以下・固定炭素85%以上・発熱量7,500カロリー以上という高水準の優良炭でもある。
無煙綺羅炭は製鉄・鋳物・化学工業用の高級コークスの原料に不可欠のものであり、ホンゲイ、カナダ、南阿炭より優れ、当時国内唯一のものであった。

トシ

横須賀にある三笠ミュージアム
日露戦争に活躍した戦艦三笠が復元されている。

トシ
三笠を作ったイギリス、ヴィッカーズ社技術者達

「日英同盟」

ロシアに対抗するためイギリスと協力してロシアの南下を阻止するため
イギリスと同盟を結びました。
日本としては初めての軍事同盟でした。



tosi
弾薬などの付加物を積んでないので、吃水が高くなっている戦艦三笠

そして当時最新鋭だった三笠の建造を担ったのがイギリスのヴィッカーズ・ソンズ・アンド・マキシム社に依頼しました。1899年1月より施工、二社の合弁建造により 軍艦、兵器製造の規模を拡大させた。

その無煙炭の性能と最新鋭の戦艦の能力は日露戦争時の日本海海戦で存分に証明されました。

トシ

三笠30センチ主砲



トシ

三笠の7・5センチ砲

とし

前方にに艦橋が見えてます


トシ

三笠15センチ副砲



トシ
三笠艦橋内部


かつて日本海軍の燃料として使われ、日本を救った無煙炭のお話

そろそろ終わりたいと思います

それでは次のブログでお会いしましょう

軍艦島デジタルミュージアムのトシでした。




軍艦島デジタルミュージアムのトシです。

皆さんお変わりなくお元気でお過ごしでしょうか。

私のブログ内容は 一貫して日本の近代化について語って来ましたが

今回は、明治以来日本の近代化に大変貢献した「無煙炭」についてお話しします。

無煙炭とは石炭の中で最も炭化の進んだ石炭をいいます。

きっかけは先日歴史好きのお客様にこう言われたからです。

「日露戦争の時、ロシアの誇るバルチック艦隊との戦いで、日本が大勝利したのは

日本の戦艦は煙の出ない石炭を使用した為、敵からの発見が遅れたからですよね。」

そうですね、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の中にもその行は出てきますものね。


煙や匂いの全くしない石炭を無煙炭と言いますが、

それで今回は、そのテーマを史実に基づいたお話に纏めていきたいと思います。


まず石炭種類別に炭化が進んでいない順に泥炭、褐炭、亜瀝青炭、瀝青炭、無煙炭となります。

世界の石炭は3億6千年前の石炭紀にできたものですが、日本の場合もっと新しく2,300万年〜260万年前、新第三紀のものが多いのです。
無煙炭はもっと古く中世代三紀の物が多い。
日本では大嶺炭田(おおみねたんでん)舞鶴炭田(まいずるたんでん)が有名ですが、世界では、北朝鮮、アメリカ、ロシア、ベトナム、中国



tosi  。

 

大日本帝国 における燃料消費・需要に関する政治史的一考察

海軍の艦隊燃料は時代とともに石炭、 煉炭. を経て重油へ移行した。
第一次大戦後からは. 航空揮発油、 航空潤滑油の需要もうまれた。 ここでは海軍の燃料消費 ...

(金光男 著 · 2005 )

海軍の軍用炭自給問題、練炭使用の促進と大嶺炭田(おおみねたんでん)

その結果、能力通りの速力を出すことが可能となり、しかも排煙も薄くなった。
日本海軍は使用石炭においてもロシア海軍に比べて大きな優位を得て、勝利を挙げる。

                              
(茨城大学学術情報リポジトリよ)




トシ
日清戦争日露戦争で使用された 混合石炭 煉炭(佐世保海軍歴史資料館展示)

煉炭(れんたん)
煉炭の原料配合は規格に敵するように調整されていた。
粉炭は無煙炭90%、粘結性有煙炭10%
この割合で混合したもの煉結剤として
コールタールピッチ9ー11%混入した。


ちょうどその頃
八幡製鐡所は度重なる失敗を重ね第3次火入れを行うにあたり、
日本政府は
金属工学(冶金学)の第一人者である野呂影義(のろかげよし)に委託しました。
教え子でもある服部漸(すすむ)をメンバーに加え。
その後も高炉改良は頻繁に行われた。
技術者達の熟練と共に生産量も向上していきました。
この改良は西洋技術の延長線上にあるのではなく、
日本独自の技術が加えられ、熟成していきました。
これにより日本の高炉操業技術は確立され、1910年頃には
国内の銑鉄の67%鋼材の91%を生産出来るようになりました。

そして1910年ロンドンで行われた日英博覧会で展示された
メイド・イン・ジャパンの日本の鋼材が評価され、
世界から非西洋諸国初の産業国家として認められるようになり、
同年輸出に置いては日本の絹製品が中国を抜いて世界一となりました。

海軍で使用される石炭は熱量もあり、匂いも煙も出さない無煙炭と粘結炭の混合炭を使用した。
日露戦争後も海軍経営の無煙炭炭坑もたくさんできました。
大嶺炭田、舞鶴炭田は海軍の管理でした。
天草無煙炭は日本でも稀な良質炭で、かつ大部分が灰分10%以下・固定炭素85%以上・発熱量7,500カロリー以上という高水準の優良炭でもある。
無煙綺羅炭は製鉄・鋳物・化学工業用の高級コークスの原料に不可欠のものであり、ホンゲイ、カナダ、南阿炭より優れ、当時国内唯一のものであった。

トシ

横須賀にある三笠ミュージアム
日露戦争に活躍した戦艦三笠が復元されている。

トシ
三笠を作ったイギリス、ヴィッカーズ社技術者達

「日英同盟」

ロシアに対抗するためイギリスと協力してロシアの南下を阻止するため
イギリスと同盟を結びました。
日本としては初めての軍事同盟でした。



tosi
弾薬などの付加物を積んでないので、吃水が高くなっている戦艦三笠

そして当時最新鋭だった三笠の建造を担ったのがイギリスのヴィッカーズ・ソンズ・アンド・マキシム社に依頼しました。1899年1月より施工、二社の合弁建造により 軍艦、兵器製造の規模を拡大させた。

その無煙炭の性能と最新鋭の戦艦の能力は日露戦争時の日本海海戦で存分に証明されました。

トシ

三笠30センチ主砲



トシ

三笠の7・5センチ砲

とし

前方にに艦橋が見えてます


トシ

三笠15センチ副砲



トシ
三笠艦橋内部


かつて日本海軍の燃料として使われ、日本を救った無煙炭のお話

そろそろ終わりたいと思います

それでは次のブログでお会いしましょう

軍艦島デジタルミュージアムのトシでした。




軍艦島デジタルミュージアムのトシです。

皆さんお変わりなくお元気でお過ごしでしょうか。

私のブログ内容は 一貫して日本の近代化について語って来ましたが

今回は、明治以来日本の近代化に大変貢献した「無煙炭」についてお話しします。

無煙炭とは石炭の中で最も炭化の進んだ石炭をいいます。

きっかけは先日歴史好きのお客様にこう言われたからです。

「日露戦争の時、ロシアの誇るバルチック艦隊との戦いで、日本が大勝利したのは

日本の戦艦は煙の出ない石炭を使用した為、敵からの発見が遅れたからですよね。」

そうですね、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の中にもその行は出てきますものね。


煙や匂いの全くしない石炭を無煙炭と言いますが、

それで今回は、そのテーマを史実に基づいたお話に纏めていきたいと思います。


まず石炭種類別に炭化が進んでいない順に泥炭、褐炭、亜瀝青炭、瀝青炭、無煙炭となります。

世界の石炭は3億6千年前の石炭紀にできたものですが、日本の場合もっと新しく2,300万年〜260万年前、新第三紀のものが多いのです。
無煙炭はもっと古く中世代三紀の物が多い。
日本では大嶺炭田(おおみねたんでん)舞鶴炭田(まいずるたんでん)が有名ですが、世界では、北朝鮮、アメリカ、ロシア、ベトナム、中国



tosi  。

 

大日本帝国 における燃料消費・需要に関する政治史的一考察

海軍の艦隊燃料は時代とともに石炭、 煉炭. を経て重油へ移行した。
第一次大戦後からは. 航空揮発油、 航空潤滑油の需要もうまれた。 ここでは海軍の燃料消費 ...

(金光男 著 · 2005 )

海軍の軍用炭自給問題、練炭使用の促進と大嶺炭田(おおみねたんでん)

その結果、能力通りの速力を出すことが可能となり、しかも排煙も薄くなった。
日本海軍は使用石炭においてもロシア海軍に比べて大きな優位を得て、勝利を挙げる。

                              
(茨城大学学術情報リポジトリよ)




トシ
日清戦争日露戦争で使用された 混合石炭 煉炭(佐世保海軍歴史資料館展示)

煉炭(れんたん)
煉炭の原料配合は規格に敵するように調整されていた。
粉炭は無煙炭90%、粘結性有煙炭10%
この割合で混合したもの煉結剤として
コールタールピッチ9ー11%混入した。


ちょうどその頃
八幡製鐡所は度重なる失敗を重ね第3次火入れを行うにあたり、
日本政府は
金属工学(冶金学)の第一人者である野呂影義(のろかげよし)に委託しました。
教え子でもある服部漸(すすむ)をメンバーに加え。
その後も高炉改良は頻繁に行われた。
技術者達の熟練と共に生産量も向上していきました。
この改良は西洋技術の延長線上にあるのではなく、
日本独自の技術が加えられ、熟成していきました。
これにより日本の高炉操業技術は確立され、1910年頃には
国内の銑鉄の67%鋼材の91%を生産出来るようになりました。

そして1910年ロンドンで行われた日英博覧会で展示された
メイド・イン・ジャパンの日本の鋼材が評価され、
世界から非西洋諸国初の産業国家として認められるようになり、
同年輸出に置いては日本の絹製品が中国を抜いて世界一となりました。

海軍で使用される石炭は熱量もあり、匂いも煙も出さない無煙炭と粘結炭の混合炭を使用した。
日露戦争後も海軍経営の無煙炭炭坑もたくさんできました。
大嶺炭田、舞鶴炭田は海軍の管理でした。
天草無煙炭は日本でも稀な良質炭で、かつ大部分が灰分10%以下・固定炭素85%以上・発熱量7,500カロリー以上という高水準の優良炭でもある。
無煙綺羅炭は製鉄・鋳物・化学工業用の高級コークスの原料に不可欠のものであり、ホンゲイ、カナダ、南阿炭より優れ、当時国内唯一のものであった。

トシ

横須賀にある三笠ミュージアム
日露戦争に活躍した戦艦三笠が復元されている。

トシ
三笠を作ったイギリス、ヴィッカーズ社技術者達

「日英同盟」

ロシアに対抗するためイギリスと協力してロシアの南下を阻止するため
イギリスと同盟を結びました。
日本としては初めての軍事同盟でした。



tosi
弾薬などの付加物を積んでないので、吃水が高くなっている戦艦三笠

そして当時最新鋭だった三笠の建造を担ったのがイギリスのヴィッカーズ・ソンズ・アンド・マキシム社に依頼しました。1899年1月より施工、二社の合弁建造により 軍艦、兵器製造の規模を拡大させた。

その無煙炭の性能と最新鋭の戦艦の能力は日露戦争時の日本海海戦で存分に証明されました。

トシ

三笠30センチ主砲



トシ

三笠の7・5センチ砲

とし

前方にに艦橋が見えてます


トシ

三笠15センチ副砲



トシ
三笠艦橋内部


かつて日本海軍の燃料として使われ、日本を救った無煙炭のお話

そろそろ終わりたいと思います

それでは次のブログでお会いしましょう

軍艦島デジタルミュージアムのトシでした。




軍艦島デジタルミュージアムのトシです。

皆さんお変わりなくお元気でお過ごしでしょうか。

私のブログ内容は 一貫して日本の近代化について語って来ましたが

今回は、明治以来日本の近代化に大変貢献した「無煙炭」についてお話しします。

無煙炭とは石炭の中で最も炭化の進んだ石炭をいいます。

きっかけは先日歴史好きのお客様にこう言われたからです。

「日露戦争の時、ロシアの誇るバルチック艦隊との戦いで、日本が大勝利したのは

日本の戦艦は煙の出ない石炭を使用した為、敵からの発見が遅れたからですよね。」

そうですね、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の中にもその行は出てきますものね。


煙や匂いの全くしない石炭を無煙炭と言いますが、

それで今回は、そのテーマを史実に基づいたお話に纏めていきたいと思います。


まず石炭種類別に炭化が進んでいない順に泥炭、褐炭、亜瀝青炭、瀝青炭、無煙炭となります。

世界の石炭は3億6千年前の石炭紀にできたものですが、日本の場合もっと新しく2,300万年〜260万年前、新第三紀のものが多いのです。
無煙炭はもっと古く中世代三紀の物が多い。
日本では大嶺炭田(おおみねたんでん)舞鶴炭田(まいずるたんでん)が有名ですが、世界では、北朝鮮、アメリカ、ロシア、ベトナム、中国



tosi  。

 

大日本帝国 における燃料消費・需要に関する政治史的一考察

海軍の艦隊燃料は時代とともに石炭、 煉炭. を経て重油へ移行した。
第一次大戦後からは. 航空揮発油、 航空潤滑油の需要もうまれた。 ここでは海軍の燃料消費 ...

(金光男 著 · 2005 )

海軍の軍用炭自給問題、練炭使用の促進と大嶺炭田(おおみねたんでん)

その結果、能力通りの速力を出すことが可能となり、しかも排煙も薄くなった。
日本海軍は使用石炭においてもロシア海軍に比べて大きな優位を得て、勝利を挙げる。

                              
(茨城大学学術情報リポジトリよ)




トシ
日清戦争日露戦争で使用された 混合石炭 煉炭(佐世保海軍歴史資料館展示)

煉炭(れんたん)
煉炭の原料配合は規格に敵するように調整されていた。
粉炭は無煙炭90%、粘結性有煙炭10%
この割合で混合したもの煉結剤として
コールタールピッチ9ー11%混入した。


ちょうどその頃
八幡製鐡所は度重なる失敗を重ね第3次火入れを行うにあたり、
日本政府は
金属工学(冶金学)の第一人者である野呂影義(のろかげよし)に委託しました。
教え子でもある服部漸(すすむ)をメンバーに加え。
その後も高炉改良は頻繁に行われた。
技術者達の熟練と共に生産量も向上していきました。
この改良は西洋技術の延長線上にあるのではなく、
日本独自の技術が加えられ、熟成していきました。
これにより日本の高炉操業技術は確立され、1910年頃には
国内の銑鉄の67%鋼材の91%を生産出来るようになりました。

そして1910年ロンドンで行われた日英博覧会で展示された
メイド・イン・ジャパンの日本の鋼材が評価され、
世界から非西洋諸国初の産業国家として認められるようになり、
同年輸出に置いては日本の絹製品が中国を抜いて世界一となりました。

海軍で使用される石炭は熱量もあり、匂いも煙も出さない無煙炭と粘結炭の混合炭を使用した。
日露戦争後も海軍経営の無煙炭炭坑もたくさんできました。
大嶺炭田、舞鶴炭田は海軍の管理でした。
天草無煙炭は日本でも稀な良質炭で、かつ大部分が灰分10%以下・固定炭素85%以上・発熱量7,500カロリー以上という高水準の優良炭でもある。
無煙綺羅炭は製鉄・鋳物・化学工業用の高級コークスの原料に不可欠のものであり、ホンゲイ、カナダ、南阿炭より優れ、当時国内唯一のものであった。

トシ

横須賀にある三笠ミュージアム
日露戦争に活躍した戦艦三笠が復元されている。

トシ
三笠を作ったイギリス、ヴィッカーズ社技術者達

「日英同盟」

ロシアに対抗するためイギリスと協力してロシアの南下を阻止するため
イギリスと同盟を結びました。
日本としては初めての軍事同盟でした。



tosi
弾薬などの付加物を積んでないので、吃水が高くなっている戦艦三笠

そして当時最新鋭だった三笠の建造を担ったのがイギリスのヴィッカーズ・ソンズ・アンド・マキシム社に依頼しました。1899年1月より施工、二社の合弁建造により 軍艦、兵器製造の規模を拡大させた。

その無煙炭の性能と最新鋭の戦艦の能力は日露戦争時の日本海海戦で存分に証明されました。

トシ

三笠30センチ主砲



トシ

三笠の7・5センチ砲

とし

前方にに艦橋が見えてます


トシ

三笠15センチ副砲



トシ
三笠艦橋内部


かつて日本海軍の燃料として使われ、日本を救った無煙炭のお話

そろそろ終わりたいと思います

それでは次のブログでお会いしましょう

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