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    崎戸炭坑全盛時代の貴重な古写真を頂きました。

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2025/06/25

崎戸炭坑全盛時代の貴重な古写真を頂きました。

崎戸炭坑全盛時代の貴重な古写真を頂きました。

崎戸炭坑全盛時代の貴重な古写真を頂きました。

崎戸炭坑全盛時代の貴重な古写真を頂きました。

こんにちは
軍艦島デジタルミュージアム 近代史担当ガイド トシです
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

今回は崎戸炭鉱で炭鉱マンとして働かれた小川 辰夫様の思い出の写真を、
小川様の娘さんから沢山寄贈して頂きました。

※ 崎戸炭鉱は1880年代に炭塊が発見され、1907 (明治40)年から

九州炭鉱汽船の経営により採掘が本格化する。

蛎浦坑(一坑)、浅浦坑(二坑)、福浦坑(三坑)などが開坑した。

1940(昭和15)年、九州炭鉱汽船株式会社が三菱鉱業株式会社に合併し、

三菱鉱業株式会社崎戸鉱業所となる。

1943(昭和18)年には100万トン強を産出、従業員も7,500人を超える日本有数の炭鉱となった。

崎戸町の人口も25,000人を上回り高島炭鉱をも上回る人口でした、

人口密度日本一を軍艦島と競うほどの、賑わいをみせた、活気のある炭鉱町です。


それでは
寄贈して頂きました写真の数々を紹介させて頂きます。

とし
炭鉱の仕事はきつかったがその分身入りも良かった。体力に自信のあるものは県外からも集まった。




とし
昔の崎戸炭坑事務所でしょう。


とし
崎戸炭鉱の閉山後の主要産業 ダイヤソルト (塩づくり)
今では海外からも受注を受けるほどに成長している。



とし
こ、これは夕顔丸?


とし
大型石炭船が入港 (新山丸)


とし
昔の、石炭積み出し港


とし
海から見上げる炭住群


とし
炭住が並んでいます。

とし
昔の壮大な炭住


とし
5月、労働組合の May Day  奥様方も子供連れで参加。


とし
払い(採炭現場)に向かう炭鉱マンの勇姿


とし
切羽(採炭現場の炭壁)をコールピックなどを使い採炭する。
崎戸炭坑の炭質は良く、鉄を作るための原料炭として人気がありました。


トシ
崎戸の炭鉱記念公園のオブジェ


tosi
崎戸の炭鉱記念公園


tosi
崎戸歴史民族民族資料館

崎戸育ちのベテランガイドさんが館内を案内してくれます。
大変見応えがあります。



ちなみに 崎戸炭鉱などを始め軍艦島に至るまで。


島々の下に存在する西彼杵(にしそのぎ)炭田が
長崎の西側の海を南北に流れています。

言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属していると言えます。


「西彼杵炭田」にしそのぎたんでん

西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。

これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。

「崎戸炭鉱」 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷


三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町

松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

 高島炭田の炭鉱

 伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖

日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和16年に開発された。

香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村

香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和27年に操業開始された。


端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。

明治23年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。

※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。

「高島炭坑」は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町

日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。

炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。

崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、
第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。

素晴らしい古写真の数々
大変有難うございました。

それでは

そろそろ次のブログでお会いしましょう。

軍艦島デジタルミュージアム近代史担当

ガイドのトシでした。

こんにちは
軍艦島デジタルミュージアム 近代史担当ガイド トシです
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

今回は崎戸炭鉱で炭鉱マンとして働かれた小川 辰夫様の思い出の写真を、
小川様の娘さんから沢山寄贈して頂きました。

※ 崎戸炭鉱は1880年代に炭塊が発見され、1907 (明治40)年から

九州炭鉱汽船の経営により採掘が本格化する。

蛎浦坑(一坑)、浅浦坑(二坑)、福浦坑(三坑)などが開坑した。

1940(昭和15)年、九州炭鉱汽船株式会社が三菱鉱業株式会社に合併し、

三菱鉱業株式会社崎戸鉱業所となる。

1943(昭和18)年には100万トン強を産出、従業員も7,500人を超える日本有数の炭鉱となった。

崎戸町の人口も25,000人を上回り高島炭鉱をも上回る人口でした、

人口密度日本一を軍艦島と競うほどの、賑わいをみせた、活気のある炭鉱町です。


それでは
寄贈して頂きました写真の数々を紹介させて頂きます。

とし
炭鉱の仕事はきつかったがその分身入りも良かった。体力に自信のあるものは県外からも集まった。




とし
昔の崎戸炭坑事務所でしょう。


とし
崎戸炭鉱の閉山後の主要産業 ダイヤソルト (塩づくり)
今では海外からも受注を受けるほどに成長している。



とし
こ、これは夕顔丸?


とし
大型石炭船が入港 (新山丸)


とし
昔の、石炭積み出し港


とし
海から見上げる炭住群


とし
炭住が並んでいます。

とし
昔の壮大な炭住


とし
5月、労働組合の May Day  奥様方も子供連れで参加。


とし
払い(採炭現場)に向かう炭鉱マンの勇姿


とし
切羽(採炭現場の炭壁)をコールピックなどを使い採炭する。
崎戸炭坑の炭質は良く、鉄を作るための原料炭として人気がありました。


トシ
崎戸の炭鉱記念公園のオブジェ


tosi
崎戸の炭鉱記念公園


tosi
崎戸歴史民族民族資料館

崎戸育ちのベテランガイドさんが館内を案内してくれます。
大変見応えがあります。



ちなみに 崎戸炭鉱などを始め軍艦島に至るまで。


島々の下に存在する西彼杵(にしそのぎ)炭田が
長崎の西側の海を南北に流れています。

言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属していると言えます。


「西彼杵炭田」にしそのぎたんでん

西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。

これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。

「崎戸炭鉱」 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷


三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町

松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

 高島炭田の炭鉱

 伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖

日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和16年に開発された。

香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村

香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和27年に操業開始された。


端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。

明治23年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。

※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。

「高島炭坑」は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町

日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。

炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。

崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、
第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。

素晴らしい古写真の数々
大変有難うございました。

それでは

そろそろ次のブログでお会いしましょう。

軍艦島デジタルミュージアム近代史担当

ガイドのトシでした。

こんにちは
軍艦島デジタルミュージアム 近代史担当ガイド トシです
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

今回は崎戸炭鉱で炭鉱マンとして働かれた小川 辰夫様の思い出の写真を、
小川様の娘さんから沢山寄贈して頂きました。

※ 崎戸炭鉱は1880年代に炭塊が発見され、1907 (明治40)年から

九州炭鉱汽船の経営により採掘が本格化する。

蛎浦坑(一坑)、浅浦坑(二坑)、福浦坑(三坑)などが開坑した。

1940(昭和15)年、九州炭鉱汽船株式会社が三菱鉱業株式会社に合併し、

三菱鉱業株式会社崎戸鉱業所となる。

1943(昭和18)年には100万トン強を産出、従業員も7,500人を超える日本有数の炭鉱となった。

崎戸町の人口も25,000人を上回り高島炭鉱をも上回る人口でした、

人口密度日本一を軍艦島と競うほどの、賑わいをみせた、活気のある炭鉱町です。


それでは
寄贈して頂きました写真の数々を紹介させて頂きます。

とし
炭鉱の仕事はきつかったがその分身入りも良かった。体力に自信のあるものは県外からも集まった。




とし
昔の崎戸炭坑事務所でしょう。


とし
崎戸炭鉱の閉山後の主要産業 ダイヤソルト (塩づくり)
今では海外からも受注を受けるほどに成長している。



とし
こ、これは夕顔丸?


とし
大型石炭船が入港 (新山丸)


とし
昔の、石炭積み出し港


とし
海から見上げる炭住群


とし
炭住が並んでいます。

とし
昔の壮大な炭住


とし
5月、労働組合の May Day  奥様方も子供連れで参加。


とし
払い(採炭現場)に向かう炭鉱マンの勇姿


とし
切羽(採炭現場の炭壁)をコールピックなどを使い採炭する。
崎戸炭坑の炭質は良く、鉄を作るための原料炭として人気がありました。


トシ
崎戸の炭鉱記念公園のオブジェ


tosi
崎戸の炭鉱記念公園


tosi
崎戸歴史民族民族資料館

崎戸育ちのベテランガイドさんが館内を案内してくれます。
大変見応えがあります。



ちなみに 崎戸炭鉱などを始め軍艦島に至るまで。


島々の下に存在する西彼杵(にしそのぎ)炭田が
長崎の西側の海を南北に流れています。

言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属していると言えます。


「西彼杵炭田」にしそのぎたんでん

西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。

これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。

「崎戸炭鉱」 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷


三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町

松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

 高島炭田の炭鉱

 伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖

日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和16年に開発された。

香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村

香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和27年に操業開始された。


端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。

明治23年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。

※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。

「高島炭坑」は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町

日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。

炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。

崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、
第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。

素晴らしい古写真の数々
大変有難うございました。

それでは

そろそろ次のブログでお会いしましょう。

軍艦島デジタルミュージアム近代史担当

ガイドのトシでした。

こんにちは
軍艦島デジタルミュージアム 近代史担当ガイド トシです
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

今回は崎戸炭鉱で炭鉱マンとして働かれた小川 辰夫様の思い出の写真を、
小川様の娘さんから沢山寄贈して頂きました。

※ 崎戸炭鉱は1880年代に炭塊が発見され、1907 (明治40)年から

九州炭鉱汽船の経営により採掘が本格化する。

蛎浦坑(一坑)、浅浦坑(二坑)、福浦坑(三坑)などが開坑した。

1940(昭和15)年、九州炭鉱汽船株式会社が三菱鉱業株式会社に合併し、

三菱鉱業株式会社崎戸鉱業所となる。

1943(昭和18)年には100万トン強を産出、従業員も7,500人を超える日本有数の炭鉱となった。

崎戸町の人口も25,000人を上回り高島炭鉱をも上回る人口でした、

人口密度日本一を軍艦島と競うほどの、賑わいをみせた、活気のある炭鉱町です。


それでは
寄贈して頂きました写真の数々を紹介させて頂きます。

とし
炭鉱の仕事はきつかったがその分身入りも良かった。体力に自信のあるものは県外からも集まった。




とし
昔の崎戸炭坑事務所でしょう。


とし
崎戸炭鉱の閉山後の主要産業 ダイヤソルト (塩づくり)
今では海外からも受注を受けるほどに成長している。



とし
こ、これは夕顔丸?


とし
大型石炭船が入港 (新山丸)


とし
昔の、石炭積み出し港


とし
海から見上げる炭住群


とし
炭住が並んでいます。

とし
昔の壮大な炭住


とし
5月、労働組合の May Day  奥様方も子供連れで参加。


とし
払い(採炭現場)に向かう炭鉱マンの勇姿


とし
切羽(採炭現場の炭壁)をコールピックなどを使い採炭する。
崎戸炭坑の炭質は良く、鉄を作るための原料炭として人気がありました。


トシ
崎戸の炭鉱記念公園のオブジェ


tosi
崎戸の炭鉱記念公園


tosi
崎戸歴史民族民族資料館

崎戸育ちのベテランガイドさんが館内を案内してくれます。
大変見応えがあります。



ちなみに 崎戸炭鉱などを始め軍艦島に至るまで。


島々の下に存在する西彼杵(にしそのぎ)炭田が
長崎の西側の海を南北に流れています。

言い換えれば軍艦島は西彼杵炭田に属していると言えます。


「西彼杵炭田」にしそのぎたんでん

西彼杵炭田は長崎県西部の西彼杵半島西部に点在していた炭鉱の総称で、
高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などが有りました。

これらの炭坑の多くは大小様々な島にあり、
高島炭鉱はグラバーさんと佐賀藩が開発を始めた近代炭鉱発祥の地でもある。
端島炭鉱は軍艦島の名称でも有名な人工の島。
崎戸炭鉱は蠣浦島、松島炭鉱は西海市松島に有りました。
池島炭鉱は島ですが松島炭鉱池島坑、大島炭鉱はやはり松島炭鉱に属しています。

「崎戸炭鉱」 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷


三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町

松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。

第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

 高島炭田の炭鉱

 伊王島炭鉱 長崎県西彼杵郡伊王島村大字沖

日鉄鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和16年に開発された。

香焼炭鉱 長崎県西彼杵郡香焼村

香焼鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。

昭和27年に操業開始された。


端島炭鉱は1890年に三菱が買い取り本格的開発は1891年より始まりました。
長崎県西彼杵郡高島町字端島、三菱金属鉱業株式会社により稼行されて炭鉱。

明治23年操業開始。端島炭鉱が有った端島は、炭鉱施設や炭鉱従業員の宿舎の遺構などが残り
明治日本の産業革命遺産、軍艦島として脚光を浴びている。
軍艦島の強粘結炭は端島にしかなく、産業革命になくてはならない石炭だった。

※別紙スタッフブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」を是非読んでみてください。

「高島炭坑」は二子炭鉱 長崎県西彼杵郡高島町

日本で最初に蒸気を使った西洋式採炭法を始めた炭坑です。ここからあっという間に全国に広まった。

炭質も粘結炭で鉄を作る原料炭として貴重な石炭であった。

崎戸・松島炭田の炭鉱
崎戸炭鉱 長崎県西彼杵郡崎戸町蠣ノ浦郷
三菱鉱業株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑が大正15年に、第2坑が大正4年に、
第3坑が明治44年に開発された。

大島炭鉱 長崎県西彼杵郡大島町
松島炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1坑は昭和10年、第2坑は昭和15年に開発された。

崎戸炭鉱と大島炭鉱は非常に近い位置にあります。

素晴らしい古写真の数々
大変有難うございました。

それでは

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