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    軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの?

    軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの?

    軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの?

2026/06/24

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの?

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの?

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの?

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの?

ミュージアムでよくある質問が

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの? です。

答え  

石炭ができた時には、そこは海の底ではなく、
40m以上の大きな鱗木などが生えてる
湿地帯だったからです。

石炭の形成:当時の日本はユーラシア大陸の東の端にあり、
温暖で湿潤な気候でした。
この時代に繁茂した巨大な植物が堆積し、
長い時間をかけて良質な石炭層となりました。

こんにちは 
軍艦島デジタルミュージアム
近代史担当トシです。
みなさまお元気ですか。

今回は時間を何千万年も遡って、軍艦島の石炭ができた頃に
思いを馳せてみましょう。
今の日本列島とは全然違いますよ。

とし
出典:wikipedia

トシ
出典:Wikipedia

日本列島は、約2,000万年前〜1,500万年前にユーラシア大陸の縁から引き裂かれるようにして離れました。
その後、
氷河期と間氷期(海面の上下)の繰り返しによって、大陸と陸続きになったり離れたりすることを何度か経て、
約1万年前の最終氷期の終了とともに完全に離れました。 

約2,000万年前〜1,500万年前、大陸の地殻が引き伸ばされて大きな裂け目ができ、
そこに海水が入り込むことで「日本海」が誕生し、
大陸から分離しました。


大きなシダ類などが二酸化炭素を取り込み酸素を吐き出し、
地球上で二酸化炭素が気薄になったため、氷河期を招きました。二酸化炭素が減ると地球は寒くなります。

 約1万年前氷河期が終わって地球全体の海面が上がったことで
日本は現在のような島国として完全に切り離されました。 

長崎周辺はというと、軍艦島のような古第三紀の炭田地層だけでなく、

恐竜の化石が発見された中生代の地層など、非常に古い地層が複雑に入り組んでいます。

とし

その後プレートの移動もあり長崎の海岸はより複雑になりました。


tおし
ここは炭層ではありません。

こちらの岩のようにマントルの対流により地表が動くことをプレートテクトニクスといいます。
海岸線では夫婦岩や岳路など太古の岩石を見ることができます。
フイリピンプレートに乗っかった付加体と考えられています。


九州の炭田分布図

  tosi
出典:九州地域産業活性化センター

軍艦島(端島)の地層は、約8,000万年前(中生代白亜紀後期)に形成された地層(西彼杵層群など)に属しています。この地層は、良質な石炭を含む「高島炭田」の一部を構成しており、島周辺の海底には複雑な地質構造が広がっています。

地層の構成:砂岩や泥岩が交互に重なった層で構成されており、多くの植物化石が見つかっています。軍艦島(端島)の石炭を産出する地層も、古代の地層である古第三紀(こだいさんき・約6,000万年前〜3,000万年前の始新世)に形成されたものです。古第三紀地層と中世代白亜紀後地層が重なり合っています。

tosi
出典:福井県立恐竜博物館より

三ツ瀬層は日本がまだ、ユーラシア大陸にある頃、おおよそ8,100万年前の川の底であることが、
堆積物から判明しております。



tosi

軍艦島の貯水槽の下に地層が現れています。褐色の岩肌や角張った不規則な割れ目、
表面のはがれ方などが観察できて、
この地層が砂岩でできていることがわかります。

また地層が西へ傾いているようすも見て取れます
この地層が、石炭層をはさんでいる端島層です。



十二尺層の発見が軍艦島にとって大きかった!

主な4つの炭層:
上部から「一丈層(いちじょうそう)」
「二尺一尺層(にしゃくいっしゃくそう)」
「十二尺層(じゅうにしゃくそう)」
「四枚層(しまいそう)」の4層が接近して分布していました。 

炭層の厚さ:4層を合わせると総厚 7〜8m にも達し、非常に恵まれた炭層でした。

発見の歴史:1915年(大正4年)頃、既に採掘されていた炭層の下を調査した結果、最も厚層となる「十二尺層」新炭層が偶然発見されました。 

◉ 採掘規模:一尺は約30cmのため「十二尺」は約3.6mの厚さになります。
この豊富な埋蔵量が軍艦島炭鉱の寿命を延ばし、
最盛期を支える大きな要因となりました。 

tosi


高島炭田

出炭の8割は優良な弱粘結炭の原料炭であった。

炭層は上八尺層、胡麻層、十八尺層、新五尺層などからなる。
採掘鉱区は22鉱区12,480ha。


端島炭田

十二尺層:厚さ約12尺(約3.6メートル)の良質な炭層(強粘結炭)が軍艦島の長期採炭を可能にしました。
それは軍艦島周辺の地下深くまで届きました。


一丈層:厚さ約1丈(約3メートル)の層で、主に島の深部での採掘を支えました。

上八尺層:厚さ約8尺(約2.4メートル)の層で、上位の炭層群の一つとして開発初期から重要な役割を果たしました。

四枚層・新五尺層など:これらを含めて端島・軍艦島の地下には数多くの炭層が層状に重なっており、
海面下1,000メートル以上の深部まで採掘が進められました。

胡麻(ごま)五尺層:厚さ約5尺(約1.5メートル)の層。島内の複数の立坑で採掘の主力を担った良質な炭層です。


それでは今回のブログはそろそろ
終わりたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


次のブログでお会いしましょう

軍艦島デジタルミュージアム 
近代史担当 トシ でした。

ミュージアムでよくある質問が

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの? です。

答え  

石炭ができた時には、そこは海の底ではなく、
40m以上の大きな鱗木などが生えてる
湿地帯だったからです。

石炭の形成:当時の日本はユーラシア大陸の東の端にあり、
温暖で湿潤な気候でした。
この時代に繁茂した巨大な植物が堆積し、
長い時間をかけて良質な石炭層となりました。

こんにちは 
軍艦島デジタルミュージアム
近代史担当トシです。
みなさまお元気ですか。

今回は時間を何千万年も遡って、軍艦島の石炭ができた頃に
思いを馳せてみましょう。
今の日本列島とは全然違いますよ。

とし
出典:wikipedia

トシ
出典:Wikipedia

日本列島は、約2,000万年前〜1,500万年前にユーラシア大陸の縁から引き裂かれるようにして離れました。
その後、
氷河期と間氷期(海面の上下)の繰り返しによって、大陸と陸続きになったり離れたりすることを何度か経て、
約1万年前の最終氷期の終了とともに完全に離れました。 

約2,000万年前〜1,500万年前、大陸の地殻が引き伸ばされて大きな裂け目ができ、
そこに海水が入り込むことで「日本海」が誕生し、
大陸から分離しました。


大きなシダ類などが二酸化炭素を取り込み酸素を吐き出し、
地球上で二酸化炭素が気薄になったため、氷河期を招きました。二酸化炭素が減ると地球は寒くなります。

 約1万年前氷河期が終わって地球全体の海面が上がったことで
日本は現在のような島国として完全に切り離されました。 

長崎周辺はというと、軍艦島のような古第三紀の炭田地層だけでなく、

恐竜の化石が発見された中生代の地層など、非常に古い地層が複雑に入り組んでいます。

とし

その後プレートの移動もあり長崎の海岸はより複雑になりました。


tおし
ここは炭層ではありません。

こちらの岩のようにマントルの対流により地表が動くことをプレートテクトニクスといいます。
海岸線では夫婦岩や岳路など太古の岩石を見ることができます。
フイリピンプレートに乗っかった付加体と考えられています。


九州の炭田分布図

  tosi
出典:九州地域産業活性化センター

軍艦島(端島)の地層は、約8,000万年前(中生代白亜紀後期)に形成された地層(西彼杵層群など)に属しています。この地層は、良質な石炭を含む「高島炭田」の一部を構成しており、島周辺の海底には複雑な地質構造が広がっています。

地層の構成:砂岩や泥岩が交互に重なった層で構成されており、多くの植物化石が見つかっています。軍艦島(端島)の石炭を産出する地層も、古代の地層である古第三紀(こだいさんき・約6,000万年前〜3,000万年前の始新世)に形成されたものです。古第三紀地層と中世代白亜紀後地層が重なり合っています。

tosi
出典:福井県立恐竜博物館より

三ツ瀬層は日本がまだ、ユーラシア大陸にある頃、おおよそ8,100万年前の川の底であることが、
堆積物から判明しております。



tosi

軍艦島の貯水槽の下に地層が現れています。褐色の岩肌や角張った不規則な割れ目、
表面のはがれ方などが観察できて、
この地層が砂岩でできていることがわかります。

また地層が西へ傾いているようすも見て取れます
この地層が、石炭層をはさんでいる端島層です。



十二尺層の発見が軍艦島にとって大きかった!

主な4つの炭層:
上部から「一丈層(いちじょうそう)」
「二尺一尺層(にしゃくいっしゃくそう)」
「十二尺層(じゅうにしゃくそう)」
「四枚層(しまいそう)」の4層が接近して分布していました。 

炭層の厚さ:4層を合わせると総厚 7〜8m にも達し、非常に恵まれた炭層でした。

発見の歴史:1915年(大正4年)頃、既に採掘されていた炭層の下を調査した結果、最も厚層となる「十二尺層」新炭層が偶然発見されました。 

◉ 採掘規模:一尺は約30cmのため「十二尺」は約3.6mの厚さになります。
この豊富な埋蔵量が軍艦島炭鉱の寿命を延ばし、
最盛期を支える大きな要因となりました。 

tosi


高島炭田

出炭の8割は優良な弱粘結炭の原料炭であった。

炭層は上八尺層、胡麻層、十八尺層、新五尺層などからなる。
採掘鉱区は22鉱区12,480ha。


端島炭田

十二尺層:厚さ約12尺(約3.6メートル)の良質な炭層(強粘結炭)が軍艦島の長期採炭を可能にしました。
それは軍艦島周辺の地下深くまで届きました。


一丈層:厚さ約1丈(約3メートル)の層で、主に島の深部での採掘を支えました。

上八尺層:厚さ約8尺(約2.4メートル)の層で、上位の炭層群の一つとして開発初期から重要な役割を果たしました。

四枚層・新五尺層など:これらを含めて端島・軍艦島の地下には数多くの炭層が層状に重なっており、
海面下1,000メートル以上の深部まで採掘が進められました。

胡麻(ごま)五尺層:厚さ約5尺(約1.5メートル)の層。島内の複数の立坑で採掘の主力を担った良質な炭層です。


それでは今回のブログはそろそろ
終わりたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


次のブログでお会いしましょう

軍艦島デジタルミュージアム 
近代史担当 トシ でした。

ミュージアムでよくある質問が

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの? です。

答え  

石炭ができた時には、そこは海の底ではなく、
40m以上の大きな鱗木などが生えてる
湿地帯だったからです。

石炭の形成:当時の日本はユーラシア大陸の東の端にあり、
温暖で湿潤な気候でした。
この時代に繁茂した巨大な植物が堆積し、
長い時間をかけて良質な石炭層となりました。

こんにちは 
軍艦島デジタルミュージアム
近代史担当トシです。
みなさまお元気ですか。

今回は時間を何千万年も遡って、軍艦島の石炭ができた頃に
思いを馳せてみましょう。
今の日本列島とは全然違いますよ。

とし
出典:wikipedia

トシ
出典:Wikipedia

日本列島は、約2,000万年前〜1,500万年前にユーラシア大陸の縁から引き裂かれるようにして離れました。
その後、
氷河期と間氷期(海面の上下)の繰り返しによって、大陸と陸続きになったり離れたりすることを何度か経て、
約1万年前の最終氷期の終了とともに完全に離れました。 

約2,000万年前〜1,500万年前、大陸の地殻が引き伸ばされて大きな裂け目ができ、
そこに海水が入り込むことで「日本海」が誕生し、
大陸から分離しました。


大きなシダ類などが二酸化炭素を取り込み酸素を吐き出し、
地球上で二酸化炭素が気薄になったため、氷河期を招きました。二酸化炭素が減ると地球は寒くなります。

 約1万年前氷河期が終わって地球全体の海面が上がったことで
日本は現在のような島国として完全に切り離されました。 

長崎周辺はというと、軍艦島のような古第三紀の炭田地層だけでなく、

恐竜の化石が発見された中生代の地層など、非常に古い地層が複雑に入り組んでいます。

とし

その後プレートの移動もあり長崎の海岸はより複雑になりました。


tおし
ここは炭層ではありません。

こちらの岩のようにマントルの対流により地表が動くことをプレートテクトニクスといいます。
海岸線では夫婦岩や岳路など太古の岩石を見ることができます。
フイリピンプレートに乗っかった付加体と考えられています。


九州の炭田分布図

  tosi
出典:九州地域産業活性化センター

軍艦島(端島)の地層は、約8,000万年前(中生代白亜紀後期)に形成された地層(西彼杵層群など)に属しています。この地層は、良質な石炭を含む「高島炭田」の一部を構成しており、島周辺の海底には複雑な地質構造が広がっています。

地層の構成:砂岩や泥岩が交互に重なった層で構成されており、多くの植物化石が見つかっています。軍艦島(端島)の石炭を産出する地層も、古代の地層である古第三紀(こだいさんき・約6,000万年前〜3,000万年前の始新世)に形成されたものです。古第三紀地層と中世代白亜紀後地層が重なり合っています。

tosi
出典:福井県立恐竜博物館より

三ツ瀬層は日本がまだ、ユーラシア大陸にある頃、おおよそ8,100万年前の川の底であることが、
堆積物から判明しております。



tosi

軍艦島の貯水槽の下に地層が現れています。褐色の岩肌や角張った不規則な割れ目、
表面のはがれ方などが観察できて、
この地層が砂岩でできていることがわかります。

また地層が西へ傾いているようすも見て取れます
この地層が、石炭層をはさんでいる端島層です。



十二尺層の発見が軍艦島にとって大きかった!

主な4つの炭層:
上部から「一丈層(いちじょうそう)」
「二尺一尺層(にしゃくいっしゃくそう)」
「十二尺層(じゅうにしゃくそう)」
「四枚層(しまいそう)」の4層が接近して分布していました。 

炭層の厚さ:4層を合わせると総厚 7〜8m にも達し、非常に恵まれた炭層でした。

発見の歴史:1915年(大正4年)頃、既に採掘されていた炭層の下を調査した結果、最も厚層となる「十二尺層」新炭層が偶然発見されました。 

◉ 採掘規模:一尺は約30cmのため「十二尺」は約3.6mの厚さになります。
この豊富な埋蔵量が軍艦島炭鉱の寿命を延ばし、
最盛期を支える大きな要因となりました。 

tosi


高島炭田

出炭の8割は優良な弱粘結炭の原料炭であった。

炭層は上八尺層、胡麻層、十八尺層、新五尺層などからなる。
採掘鉱区は22鉱区12,480ha。


端島炭田

十二尺層:厚さ約12尺(約3.6メートル)の良質な炭層(強粘結炭)が軍艦島の長期採炭を可能にしました。
それは軍艦島周辺の地下深くまで届きました。


一丈層:厚さ約1丈(約3メートル)の層で、主に島の深部での採掘を支えました。

上八尺層:厚さ約8尺(約2.4メートル)の層で、上位の炭層群の一つとして開発初期から重要な役割を果たしました。

四枚層・新五尺層など:これらを含めて端島・軍艦島の地下には数多くの炭層が層状に重なっており、
海面下1,000メートル以上の深部まで採掘が進められました。

胡麻(ごま)五尺層:厚さ約5尺(約1.5メートル)の層。島内の複数の立坑で採掘の主力を担った良質な炭層です。


それでは今回のブログはそろそろ
終わりたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


次のブログでお会いしましょう

軍艦島デジタルミュージアム 
近代史担当 トシ でした。

ミュージアムでよくある質問が

軍艦島の石炭はなぜ海の底深くにあるの? です。

答え  

石炭ができた時には、そこは海の底ではなく、
40m以上の大きな鱗木などが生えてる
湿地帯だったからです。

石炭の形成:当時の日本はユーラシア大陸の東の端にあり、
温暖で湿潤な気候でした。
この時代に繁茂した巨大な植物が堆積し、
長い時間をかけて良質な石炭層となりました。

こんにちは 
軍艦島デジタルミュージアム
近代史担当トシです。
みなさまお元気ですか。

今回は時間を何千万年も遡って、軍艦島の石炭ができた頃に
思いを馳せてみましょう。
今の日本列島とは全然違いますよ。

とし
出典:wikipedia

トシ
出典:Wikipedia

日本列島は、約2,000万年前〜1,500万年前にユーラシア大陸の縁から引き裂かれるようにして離れました。
その後、
氷河期と間氷期(海面の上下)の繰り返しによって、大陸と陸続きになったり離れたりすることを何度か経て、
約1万年前の最終氷期の終了とともに完全に離れました。 

約2,000万年前〜1,500万年前、大陸の地殻が引き伸ばされて大きな裂け目ができ、
そこに海水が入り込むことで「日本海」が誕生し、
大陸から分離しました。


大きなシダ類などが二酸化炭素を取り込み酸素を吐き出し、
地球上で二酸化炭素が気薄になったため、氷河期を招きました。二酸化炭素が減ると地球は寒くなります。

 約1万年前氷河期が終わって地球全体の海面が上がったことで
日本は現在のような島国として完全に切り離されました。 

長崎周辺はというと、軍艦島のような古第三紀の炭田地層だけでなく、

恐竜の化石が発見された中生代の地層など、非常に古い地層が複雑に入り組んでいます。

とし

その後プレートの移動もあり長崎の海岸はより複雑になりました。


tおし
ここは炭層ではありません。

こちらの岩のようにマントルの対流により地表が動くことをプレートテクトニクスといいます。
海岸線では夫婦岩や岳路など太古の岩石を見ることができます。
フイリピンプレートに乗っかった付加体と考えられています。


九州の炭田分布図

  tosi
出典:九州地域産業活性化センター

軍艦島(端島)の地層は、約8,000万年前(中生代白亜紀後期)に形成された地層(西彼杵層群など)に属しています。この地層は、良質な石炭を含む「高島炭田」の一部を構成しており、島周辺の海底には複雑な地質構造が広がっています。

地層の構成:砂岩や泥岩が交互に重なった層で構成されており、多くの植物化石が見つかっています。軍艦島(端島)の石炭を産出する地層も、古代の地層である古第三紀(こだいさんき・約6,000万年前〜3,000万年前の始新世)に形成されたものです。古第三紀地層と中世代白亜紀後地層が重なり合っています。

tosi
出典:福井県立恐竜博物館より

三ツ瀬層は日本がまだ、ユーラシア大陸にある頃、おおよそ8,100万年前の川の底であることが、
堆積物から判明しております。



tosi

軍艦島の貯水槽の下に地層が現れています。褐色の岩肌や角張った不規則な割れ目、
表面のはがれ方などが観察できて、
この地層が砂岩でできていることがわかります。

また地層が西へ傾いているようすも見て取れます
この地層が、石炭層をはさんでいる端島層です。



十二尺層の発見が軍艦島にとって大きかった!

主な4つの炭層:
上部から「一丈層(いちじょうそう)」
「二尺一尺層(にしゃくいっしゃくそう)」
「十二尺層(じゅうにしゃくそう)」
「四枚層(しまいそう)」の4層が接近して分布していました。 

炭層の厚さ:4層を合わせると総厚 7〜8m にも達し、非常に恵まれた炭層でした。

発見の歴史:1915年(大正4年)頃、既に採掘されていた炭層の下を調査した結果、最も厚層となる「十二尺層」新炭層が偶然発見されました。 

◉ 採掘規模:一尺は約30cmのため「十二尺」は約3.6mの厚さになります。
この豊富な埋蔵量が軍艦島炭鉱の寿命を延ばし、
最盛期を支える大きな要因となりました。 

tosi


高島炭田

出炭の8割は優良な弱粘結炭の原料炭であった。

炭層は上八尺層、胡麻層、十八尺層、新五尺層などからなる。
採掘鉱区は22鉱区12,480ha。


端島炭田

十二尺層:厚さ約12尺(約3.6メートル)の良質な炭層(強粘結炭)が軍艦島の長期採炭を可能にしました。
それは軍艦島周辺の地下深くまで届きました。


一丈層:厚さ約1丈(約3メートル)の層で、主に島の深部での採掘を支えました。

上八尺層:厚さ約8尺(約2.4メートル)の層で、上位の炭層群の一つとして開発初期から重要な役割を果たしました。

四枚層・新五尺層など:これらを含めて端島・軍艦島の地下には数多くの炭層が層状に重なっており、
海面下1,000メートル以上の深部まで採掘が進められました。

胡麻(ごま)五尺層:厚さ約5尺(約1.5メートル)の層。島内の複数の立坑で採掘の主力を担った良質な炭層です。


それでは今回のブログはそろそろ
終わりたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


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