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明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
2023/04/12
明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
明治日本の産業革命遺産 三角西港旅行記
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか。
今回のブログは熊本にあります三角西港へ行って来ましたので紹介したいと思います。
軍艦島と同じ明治日本の産業革命遺産です。
日本唯一の現存する明治の港湾施設「三角西港」
明治の港湾施設が完全な形で残っているのは三角西港だけだそうです。全長756メートルのまさに西洋の職人と日本の職人の技術の融合を各所に見られる。
遠方には天草5橋 が見えています。実に美しい場所です。
当時三池炭鉱の石炭積み出しは、有明海を挟んだ対岸の長崎県南島原市口之津港から行っていましたが、有明海は海底が浅く大型船の出入りが難しいことが大きな課題でした。
三池港に変わる石炭積出港として大型船が接岸できる港当時最先端の技術で造りあげたのが天草の三角西港でした。石炭のみならず、天草の建築石材や材木なども出荷された。
1880
明治
13
年、日本国政府は内務省依属のオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルに熊本県下の港湾整備の調査を命じ、
1884
(明治
17
)年着工。工事は熊本県令富岡敬明(とみおかけいめい)の指示により、ムルドルが設計し、
熊本県属土方平次郎(つちかたへいじろう)の総監督の下、
富岡敬明像とトシさん
グラバー邸や大浦天主堂を建設した小山秀(こやまひで)率いる熊本県天草の御領,
下浦の石工集団が行い、熊本から三角までの道路建設と三角西(旧)
港の築港を
3
年かけて
1887
(明治
20
)年
8
月
15
日に開港した、
小山秀、晩年の大仕事となった。
港の構築には近くの山で採掘される安山岩が多く使用されています。
加工しやすく丈夫な岩質なので
石の街長崎にもたくさん使われています。
三角西港のそばにある浦島屋は、外国の客の迎賓館も兼ねたホテルで、その中の一人
三角西港の活況は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「夏の日の夢」と題した作品に記されています。当時、熊本に住んでいたハーンは、長崎旅行の帰りに船で当地を訪れ、旅館「浦島屋」に宿泊しました
三角港フェリーターミナルは、海のピラミッドと呼ばれています。
JR
三角線の三角駅からすぐにあり三角東港のランドマークです。特徴はなんといっても25mの円錐型で螺旋状にスロープが設けられている形状です。スロープの頂上には展望台があり、天草の海を一望することができます。
内部は吹き抜けになっており、外側と同様に螺旋状のスロープにな
三角東港 「海のピラミッド」と呼ばれ天草東港のランドマークになっています。
螺旋状に登っていけて、登るごとに絶景が広がります。
天草5橋の素晴らしさ! 熊本観光 天草エリアより
沖のほうには砂利運搬船など頻繁ん行き来してました。
天草と長崎のつながりも理解できていい旅になりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではそろそろ
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム
トシでした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか。
今回のブログは熊本にあります三角西港へ行って来ましたので紹介したいと思います。
軍艦島と同じ明治日本の産業革命遺産です。
日本唯一の現存する明治の港湾施設「三角西港」
明治の港湾施設が完全な形で残っているのは三角西港だけだそうです。全長756メートルのまさに西洋の職人と日本の職人の技術の融合を各所に見られる。
遠方には天草5橋 が見えています。実に美しい場所です。
当時三池炭鉱の石炭積み出しは、有明海を挟んだ対岸の長崎県南島原市口之津港から行っていましたが、有明海は海底が浅く大型船の出入りが難しいことが大きな課題でした。
三池港に変わる石炭積出港として大型船が接岸できる港当時最先端の技術で造りあげたのが天草の三角西港でした。石炭のみならず、天草の建築石材や材木なども出荷された。
1880
明治
13
年、日本国政府は内務省依属のオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルに熊本県下の港湾整備の調査を命じ、
1884
(明治
17
)年着工。工事は熊本県令富岡敬明(とみおかけいめい)の指示により、ムルドルが設計し、
熊本県属土方平次郎(つちかたへいじろう)の総監督の下、
富岡敬明像とトシさん
グラバー邸や大浦天主堂を建設した小山秀(こやまひで)率いる熊本県天草の御領,
下浦の石工集団が行い、熊本から三角までの道路建設と三角西(旧)
港の築港を
3
年かけて
1887
(明治
20
)年
8
月
15
日に開港した、
小山秀、晩年の大仕事となった。
港の構築には近くの山で採掘される安山岩が多く使用されています。
加工しやすく丈夫な岩質なので
石の街長崎にもたくさん使われています。
三角西港のそばにある浦島屋は、外国の客の迎賓館も兼ねたホテルで、その中の一人
三角西港の活況は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「夏の日の夢」と題した作品に記されています。当時、熊本に住んでいたハーンは、長崎旅行の帰りに船で当地を訪れ、旅館「浦島屋」に宿泊しました
三角港フェリーターミナルは、海のピラミッドと呼ばれています。
JR
三角線の三角駅からすぐにあり三角東港のランドマークです。特徴はなんといっても25mの円錐型で螺旋状にスロープが設けられている形状です。スロープの頂上には展望台があり、天草の海を一望することができます。
内部は吹き抜けになっており、外側と同様に螺旋状のスロープにな
三角東港 「海のピラミッド」と呼ばれ天草東港のランドマークになっています。
螺旋状に登っていけて、登るごとに絶景が広がります。
天草5橋の素晴らしさ! 熊本観光 天草エリアより
沖のほうには砂利運搬船など頻繁ん行き来してました。
天草と長崎のつながりも理解できていい旅になりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではそろそろ
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム
トシでした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか。
今回のブログは熊本にあります三角西港へ行って来ましたので紹介したいと思います。
軍艦島と同じ明治日本の産業革命遺産です。
日本唯一の現存する明治の港湾施設「三角西港」
明治の港湾施設が完全な形で残っているのは三角西港だけだそうです。全長756メートルのまさに西洋の職人と日本の職人の技術の融合を各所に見られる。
遠方には天草5橋 が見えています。実に美しい場所です。
当時三池炭鉱の石炭積み出しは、有明海を挟んだ対岸の長崎県南島原市口之津港から行っていましたが、有明海は海底が浅く大型船の出入りが難しいことが大きな課題でした。
三池港に変わる石炭積出港として大型船が接岸できる港当時最先端の技術で造りあげたのが天草の三角西港でした。石炭のみならず、天草の建築石材や材木なども出荷された。
1880
明治
13
年、日本国政府は内務省依属のオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルに熊本県下の港湾整備の調査を命じ、
1884
(明治
17
)年着工。工事は熊本県令富岡敬明(とみおかけいめい)の指示により、ムルドルが設計し、
熊本県属土方平次郎(つちかたへいじろう)の総監督の下、
富岡敬明像とトシさん
グラバー邸や大浦天主堂を建設した小山秀(こやまひで)率いる熊本県天草の御領,
下浦の石工集団が行い、熊本から三角までの道路建設と三角西(旧)
港の築港を
3
年かけて
1887
(明治
20
)年
8
月
15
日に開港した、
小山秀、晩年の大仕事となった。
港の構築には近くの山で採掘される安山岩が多く使用されています。
加工しやすく丈夫な岩質なので
石の街長崎にもたくさん使われています。
三角西港のそばにある浦島屋は、外国の客の迎賓館も兼ねたホテルで、その中の一人
三角西港の活況は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「夏の日の夢」と題した作品に記されています。当時、熊本に住んでいたハーンは、長崎旅行の帰りに船で当地を訪れ、旅館「浦島屋」に宿泊しました
三角港フェリーターミナルは、海のピラミッドと呼ばれています。
JR
三角線の三角駅からすぐにあり三角東港のランドマークです。特徴はなんといっても25mの円錐型で螺旋状にスロープが設けられている形状です。スロープの頂上には展望台があり、天草の海を一望することができます。
内部は吹き抜けになっており、外側と同様に螺旋状のスロープにな
三角東港 「海のピラミッド」と呼ばれ天草東港のランドマークになっています。
螺旋状に登っていけて、登るごとに絶景が広がります。
天草5橋の素晴らしさ! 熊本観光 天草エリアより
沖のほうには砂利運搬船など頻繁ん行き来してました。
天草と長崎のつながりも理解できていい旅になりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではそろそろ
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム
トシでした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか。
今回のブログは熊本にあります三角西港へ行って来ましたので紹介したいと思います。
軍艦島と同じ明治日本の産業革命遺産です。
日本唯一の現存する明治の港湾施設「三角西港」
明治の港湾施設が完全な形で残っているのは三角西港だけだそうです。全長756メートルのまさに西洋の職人と日本の職人の技術の融合を各所に見られる。
遠方には天草5橋 が見えています。実に美しい場所です。
当時三池炭鉱の石炭積み出しは、有明海を挟んだ対岸の長崎県南島原市口之津港から行っていましたが、有明海は海底が浅く大型船の出入りが難しいことが大きな課題でした。
三池港に変わる石炭積出港として大型船が接岸できる港当時最先端の技術で造りあげたのが天草の三角西港でした。石炭のみならず、天草の建築石材や材木なども出荷された。
1880
明治
13
年、日本国政府は内務省依属のオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルに熊本県下の港湾整備の調査を命じ、
1884
(明治
17
)年着工。工事は熊本県令富岡敬明(とみおかけいめい)の指示により、ムルドルが設計し、
熊本県属土方平次郎(つちかたへいじろう)の総監督の下、
富岡敬明像とトシさん
グラバー邸や大浦天主堂を建設した小山秀(こやまひで)率いる熊本県天草の御領,
下浦の石工集団が行い、熊本から三角までの道路建設と三角西(旧)
港の築港を
3
年かけて
1887
(明治
20
)年
8
月
15
日に開港した、
小山秀、晩年の大仕事となった。
港の構築には近くの山で採掘される安山岩が多く使用されています。
加工しやすく丈夫な岩質なので
石の街長崎にもたくさん使われています。
三角西港のそばにある浦島屋は、外国の客の迎賓館も兼ねたホテルで、その中の一人
三角西港の活況は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「夏の日の夢」と題した作品に記されています。当時、熊本に住んでいたハーンは、長崎旅行の帰りに船で当地を訪れ、旅館「浦島屋」に宿泊しました
三角港フェリーターミナルは、海のピラミッドと呼ばれています。
JR
三角線の三角駅からすぐにあり三角東港のランドマークです。特徴はなんといっても25mの円錐型で螺旋状にスロープが設けられている形状です。スロープの頂上には展望台があり、天草の海を一望することができます。
内部は吹き抜けになっており、外側と同様に螺旋状のスロープにな
三角東港 「海のピラミッド」と呼ばれ天草東港のランドマークになっています。
螺旋状に登っていけて、登るごとに絶景が広がります。
天草5橋の素晴らしさ! 熊本観光 天草エリアより
沖のほうには砂利運搬船など頻繁ん行き来してました。
天草と長崎のつながりも理解できていい旅になりました。
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