
STAFF BLOGスタッフブログ
2023/12/20
軍艦島の石炭が日本を救った。
軍艦島の石炭が日本を救った。
軍艦島の石炭が日本を救った。
軍艦島の石炭が日本を救った。
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気にお過ごしでしょうか。
今回は軍艦島の良質な石炭が日本を救った
お話をしたいと思います。
「軍艦島の石炭が日本を救った?」
これは少し大袈裟聞こえるかもしれませんが
これは日本がまだ産業革命前の先進国に追いつこうと必死になっていた時のことですから、
一刻も早く「自国で鉄が作れるようにならねば、国が生き残れない」
そんな時代に思いを馳せてみてください。
軍艦島の石炭の炭質が八幡製鐵所を成功に導いた。
軍艦島の石炭は瀝青炭(れきせいたん)の中の強粘結炭(きょうねんけったん)という
製鉄には欠かすことの出来ない日本一の炭質を誇る原料炭であった。
そのため、創業間もない官営 八幡製鐵所に送られた。

1901官営八幡製鐵所 ここから日本の近代化は始まった。
※石炭の種類は大きく分けて2つ
一つは「一般炭」いわゆる燃料として用いられる石炭で、火力発電、
産業用のボイラー燃料セメント製造用などに利用されています。
二つ目は「原料炭」鉄鋼を作る際に用いられるコークスの原料になる石炭です。

東田第一高炉基礎工事
八幡製鐵所誘致に関しては、地元炭鉱財閥らの政治力もありましたが、
大きな理由は以下の3つ
1,石炭の調達の利便性
2,石灰石の調達の利便性
3,中国に近い洞海湾に面した港がある。(これについては後借款の行で説明)

遠景が現在とあまり変わってないのに感動
しかし、最初からうまく事が運んだ訳ではなく、順調に稼働するのは大変な試行錯誤の末であった。

八幡製鐵所は高炉を作る前に最初に計画を立てる事務所を建設したそうです。最初によく考えて作る
理にかなった手順である。

当時の日本には近代的製鐵事業に必要な知識がなかった為ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社に設計を依頼した。
伊藤博文や井上馨の顔ぶれや、九州財界の重鎮、麻生太吉など、明治時代の牽引した大物が見えます。
1、良質の鉄鋼を作り出すためには、石炭を直接、燃焼することはしません。
石炭を乾留し不純物を減らしたコークスを燃焼するのですが、
このコークスを作るための炭化度の高い原料炭として筑豊炭田から掘り出されるほとんどの石炭は、
不向きでした。
そこで使われたのが 高島炭 端島炭 北松炭 三池炭 の粘結炭(ねんけつたん)であった。
そのうち高島炭鉱、三池炭鉱は弱粘結炭でした。そして軍艦島の石炭だけが強粘結炭であり、
弱粘結炭は強粘結炭と混ぜることにより最良の石炭コークスを作ることができた。

2、石灰石は、北九州の平尾台を始め北九州各地で豊富に採掘できるので問題はない。
3,鉄鉱石は当初の計画より釜石の採掘量が少なく
そこで日本政府は中国にある清末期の官営大冶鉄山(だいやてつざん)
に借款を通じて鉄鉱石確保をはかった。多額の借款と引き換えに長期にわたり
八幡製鐵所に鉄鉱石を送る契約を結んだ。
このことにより、日本は 原料調達 製鉄 製鋼 製品の一貫経営を行える製鉄の一大拠点
「官営八幡製鐵所」を得ることとなったのである。
当時の日本にとって早期に国内で鋼鉄をつくれるようになる事は
待った無しの状況だったのだ。

この写真は1910年10月29日イギリスのロンドンで開催された日英博覧会に
八幡製鐵所で制作されたスティール製品が展示された。
日本の産業革命が完成したことを欧米列強に示した瞬間でもありました。

福沢諭吉の名言「鉄は文明開化の塊なり」
文字どうり鉄は日本の近代化の象徴であり
官営八幡製鐵所はその出発点 だったのだ。
そして軍艦島を始め西日本地方の良質な石炭がそれを可能にした。
※コークス(骸炭)石炭を乾留(かんりゅう)して炭素部分だけ残した個体、
非常に火力の強い燃料となる。コークス製造の原料選びには、
石炭のもつ粘結性の強さが重要なポイントとなる。
※乾溜 石炭を高温で蒸し焼きにすること
※粘結性 加熱すると、溶けて固まる性質
※借款(しゃっかん)国家間で長期にわたる資金の融資。
現在で言うODA(政府開発援助)であるが大正時代の借款は
目的が相手国への強い関与である。
それでは、そろそろ
次のブログでお会いしましょう
軍艦島デジタルミュージアムガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気にお過ごしでしょうか。
今回は軍艦島の良質な石炭が日本を救った
お話をしたいと思います。
「軍艦島の石炭が日本を救った?」
これは少し大袈裟聞こえるかもしれませんが
これは日本がまだ産業革命前の先進国に追いつこうと必死になっていた時のことですから、
一刻も早く「自国で鉄が作れるようにならねば、国が生き残れない」
そんな時代に思いを馳せてみてください。
軍艦島の石炭の炭質が八幡製鐵所を成功に導いた。
軍艦島の石炭は瀝青炭(れきせいたん)の中の強粘結炭(きょうねんけったん)という
製鉄には欠かすことの出来ない日本一の炭質を誇る原料炭であった。
そのため、創業間もない官営 八幡製鐵所に送られた。

1901官営八幡製鐵所 ここから日本の近代化は始まった。
※石炭の種類は大きく分けて2つ
一つは「一般炭」いわゆる燃料として用いられる石炭で、火力発電、
産業用のボイラー燃料セメント製造用などに利用されています。
二つ目は「原料炭」鉄鋼を作る際に用いられるコークスの原料になる石炭です。

東田第一高炉基礎工事
八幡製鐵所誘致に関しては、地元炭鉱財閥らの政治力もありましたが、
大きな理由は以下の3つ
1,石炭の調達の利便性
2,石灰石の調達の利便性
3,中国に近い洞海湾に面した港がある。(これについては後借款の行で説明)

遠景が現在とあまり変わってないのに感動
しかし、最初からうまく事が運んだ訳ではなく、順調に稼働するのは大変な試行錯誤の末であった。

八幡製鐵所は高炉を作る前に最初に計画を立てる事務所を建設したそうです。最初によく考えて作る
理にかなった手順である。

当時の日本には近代的製鐵事業に必要な知識がなかった為ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社に設計を依頼した。
伊藤博文や井上馨の顔ぶれや、九州財界の重鎮、麻生太吉など、明治時代の牽引した大物が見えます。
1、良質の鉄鋼を作り出すためには、石炭を直接、燃焼することはしません。
石炭を乾留し不純物を減らしたコークスを燃焼するのですが、
このコークスを作るための炭化度の高い原料炭として筑豊炭田から掘り出されるほとんどの石炭は、
不向きでした。
そこで使われたのが 高島炭 端島炭 北松炭 三池炭 の粘結炭(ねんけつたん)であった。
そのうち高島炭鉱、三池炭鉱は弱粘結炭でした。そして軍艦島の石炭だけが強粘結炭であり、
弱粘結炭は強粘結炭と混ぜることにより最良の石炭コークスを作ることができた。

2、石灰石は、北九州の平尾台を始め北九州各地で豊富に採掘できるので問題はない。
3,鉄鉱石は当初の計画より釜石の採掘量が少なく
そこで日本政府は中国にある清末期の官営大冶鉄山(だいやてつざん)
に借款を通じて鉄鉱石確保をはかった。多額の借款と引き換えに長期にわたり
八幡製鐵所に鉄鉱石を送る契約を結んだ。
このことにより、日本は 原料調達 製鉄 製鋼 製品の一貫経営を行える製鉄の一大拠点
「官営八幡製鐵所」を得ることとなったのである。
当時の日本にとって早期に国内で鋼鉄をつくれるようになる事は
待った無しの状況だったのだ。

この写真は1910年10月29日イギリスのロンドンで開催された日英博覧会に
八幡製鐵所で制作されたスティール製品が展示された。
日本の産業革命が完成したことを欧米列強に示した瞬間でもありました。

福沢諭吉の名言「鉄は文明開化の塊なり」
文字どうり鉄は日本の近代化の象徴であり
官営八幡製鐵所はその出発点 だったのだ。
そして軍艦島を始め西日本地方の良質な石炭がそれを可能にした。
※コークス(骸炭)石炭を乾留(かんりゅう)して炭素部分だけ残した個体、
非常に火力の強い燃料となる。コークス製造の原料選びには、
石炭のもつ粘結性の強さが重要なポイントとなる。
※乾溜 石炭を高温で蒸し焼きにすること
※粘結性 加熱すると、溶けて固まる性質
※借款(しゃっかん)国家間で長期にわたる資金の融資。
現在で言うODA(政府開発援助)であるが大正時代の借款は
目的が相手国への強い関与である。
それでは、そろそろ
次のブログでお会いしましょう
軍艦島デジタルミュージアムガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気にお過ごしでしょうか。
今回は軍艦島の良質な石炭が日本を救った
お話をしたいと思います。
「軍艦島の石炭が日本を救った?」
これは少し大袈裟聞こえるかもしれませんが
これは日本がまだ産業革命前の先進国に追いつこうと必死になっていた時のことですから、
一刻も早く「自国で鉄が作れるようにならねば、国が生き残れない」
そんな時代に思いを馳せてみてください。
軍艦島の石炭の炭質が八幡製鐵所を成功に導いた。
軍艦島の石炭は瀝青炭(れきせいたん)の中の強粘結炭(きょうねんけったん)という
製鉄には欠かすことの出来ない日本一の炭質を誇る原料炭であった。
そのため、創業間もない官営 八幡製鐵所に送られた。

1901官営八幡製鐵所 ここから日本の近代化は始まった。
※石炭の種類は大きく分けて2つ
一つは「一般炭」いわゆる燃料として用いられる石炭で、火力発電、
産業用のボイラー燃料セメント製造用などに利用されています。
二つ目は「原料炭」鉄鋼を作る際に用いられるコークスの原料になる石炭です。

東田第一高炉基礎工事
八幡製鐵所誘致に関しては、地元炭鉱財閥らの政治力もありましたが、
大きな理由は以下の3つ
1,石炭の調達の利便性
2,石灰石の調達の利便性
3,中国に近い洞海湾に面した港がある。(これについては後借款の行で説明)

遠景が現在とあまり変わってないのに感動
しかし、最初からうまく事が運んだ訳ではなく、順調に稼働するのは大変な試行錯誤の末であった。

八幡製鐵所は高炉を作る前に最初に計画を立てる事務所を建設したそうです。最初によく考えて作る
理にかなった手順である。

当時の日本には近代的製鐵事業に必要な知識がなかった為ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社に設計を依頼した。
伊藤博文や井上馨の顔ぶれや、九州財界の重鎮、麻生太吉など、明治時代の牽引した大物が見えます。
1、良質の鉄鋼を作り出すためには、石炭を直接、燃焼することはしません。
石炭を乾留し不純物を減らしたコークスを燃焼するのですが、
このコークスを作るための炭化度の高い原料炭として筑豊炭田から掘り出されるほとんどの石炭は、
不向きでした。
そこで使われたのが 高島炭 端島炭 北松炭 三池炭 の粘結炭(ねんけつたん)であった。
そのうち高島炭鉱、三池炭鉱は弱粘結炭でした。そして軍艦島の石炭だけが強粘結炭であり、
弱粘結炭は強粘結炭と混ぜることにより最良の石炭コークスを作ることができた。

2、石灰石は、北九州の平尾台を始め北九州各地で豊富に採掘できるので問題はない。
3,鉄鉱石は当初の計画より釜石の採掘量が少なく
そこで日本政府は中国にある清末期の官営大冶鉄山(だいやてつざん)
に借款を通じて鉄鉱石確保をはかった。多額の借款と引き換えに長期にわたり
八幡製鐵所に鉄鉱石を送る契約を結んだ。
このことにより、日本は 原料調達 製鉄 製鋼 製品の一貫経営を行える製鉄の一大拠点
「官営八幡製鐵所」を得ることとなったのである。
当時の日本にとって早期に国内で鋼鉄をつくれるようになる事は
待った無しの状況だったのだ。

この写真は1910年10月29日イギリスのロンドンで開催された日英博覧会に
八幡製鐵所で制作されたスティール製品が展示された。
日本の産業革命が完成したことを欧米列強に示した瞬間でもありました。

福沢諭吉の名言「鉄は文明開化の塊なり」
文字どうり鉄は日本の近代化の象徴であり
官営八幡製鐵所はその出発点 だったのだ。
そして軍艦島を始め西日本地方の良質な石炭がそれを可能にした。
※コークス(骸炭)石炭を乾留(かんりゅう)して炭素部分だけ残した個体、
非常に火力の強い燃料となる。コークス製造の原料選びには、
石炭のもつ粘結性の強さが重要なポイントとなる。
※乾溜 石炭を高温で蒸し焼きにすること
※粘結性 加熱すると、溶けて固まる性質
※借款(しゃっかん)国家間で長期にわたる資金の融資。
現在で言うODA(政府開発援助)であるが大正時代の借款は
目的が相手国への強い関与である。
それでは、そろそろ
次のブログでお会いしましょう
軍艦島デジタルミュージアムガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
軍艦島デジタルミュージアムのガイド トシです。
みなさんお元気にお過ごしでしょうか。
今回は軍艦島の良質な石炭が日本を救った
お話をしたいと思います。
「軍艦島の石炭が日本を救った?」
これは少し大袈裟聞こえるかもしれませんが
これは日本がまだ産業革命前の先進国に追いつこうと必死になっていた時のことですから、
一刻も早く「自国で鉄が作れるようにならねば、国が生き残れない」
そんな時代に思いを馳せてみてください。
軍艦島の石炭の炭質が八幡製鐵所を成功に導いた。
軍艦島の石炭は瀝青炭(れきせいたん)の中の強粘結炭(きょうねんけったん)という
製鉄には欠かすことの出来ない日本一の炭質を誇る原料炭であった。
そのため、創業間もない官営 八幡製鐵所に送られた。

1901官営八幡製鐵所 ここから日本の近代化は始まった。
※石炭の種類は大きく分けて2つ
一つは「一般炭」いわゆる燃料として用いられる石炭で、火力発電、
産業用のボイラー燃料セメント製造用などに利用されています。
二つ目は「原料炭」鉄鋼を作る際に用いられるコークスの原料になる石炭です。

東田第一高炉基礎工事
八幡製鐵所誘致に関しては、地元炭鉱財閥らの政治力もありましたが、
大きな理由は以下の3つ
1,石炭の調達の利便性
2,石灰石の調達の利便性
3,中国に近い洞海湾に面した港がある。(これについては後借款の行で説明)

遠景が現在とあまり変わってないのに感動
しかし、最初からうまく事が運んだ訳ではなく、順調に稼働するのは大変な試行錯誤の末であった。

八幡製鐵所は高炉を作る前に最初に計画を立てる事務所を建設したそうです。最初によく考えて作る
理にかなった手順である。

当時の日本には近代的製鐵事業に必要な知識がなかった為ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社に設計を依頼した。
伊藤博文や井上馨の顔ぶれや、九州財界の重鎮、麻生太吉など、明治時代の牽引した大物が見えます。
1、良質の鉄鋼を作り出すためには、石炭を直接、燃焼することはしません。
石炭を乾留し不純物を減らしたコークスを燃焼するのですが、
このコークスを作るための炭化度の高い原料炭として筑豊炭田から掘り出されるほとんどの石炭は、
不向きでした。
そこで使われたのが 高島炭 端島炭 北松炭 三池炭 の粘結炭(ねんけつたん)であった。
そのうち高島炭鉱、三池炭鉱は弱粘結炭でした。そして軍艦島の石炭だけが強粘結炭であり、
弱粘結炭は強粘結炭と混ぜることにより最良の石炭コークスを作ることができた。

2、石灰石は、北九州の平尾台を始め北九州各地で豊富に採掘できるので問題はない。
3,鉄鉱石は当初の計画より釜石の採掘量が少なく
そこで日本政府は中国にある清末期の官営大冶鉄山(だいやてつざん)
に借款を通じて鉄鉱石確保をはかった。多額の借款と引き換えに長期にわたり
八幡製鐵所に鉄鉱石を送る契約を結んだ。
このことにより、日本は 原料調達 製鉄 製鋼 製品の一貫経営を行える製鉄の一大拠点
「官営八幡製鐵所」を得ることとなったのである。
当時の日本にとって早期に国内で鋼鉄をつくれるようになる事は
待った無しの状況だったのだ。

この写真は1910年10月29日イギリスのロンドンで開催された日英博覧会に
八幡製鐵所で制作されたスティール製品が展示された。
日本の産業革命が完成したことを欧米列強に示した瞬間でもありました。

福沢諭吉の名言「鉄は文明開化の塊なり」
文字どうり鉄は日本の近代化の象徴であり
官営八幡製鐵所はその出発点 だったのだ。
そして軍艦島を始め西日本地方の良質な石炭がそれを可能にした。
※コークス(骸炭)石炭を乾留(かんりゅう)して炭素部分だけ残した個体、
非常に火力の強い燃料となる。コークス製造の原料選びには、
石炭のもつ粘結性の強さが重要なポイントとなる。
※乾溜 石炭を高温で蒸し焼きにすること
※粘結性 加熱すると、溶けて固まる性質
※借款(しゃっかん)国家間で長期にわたる資金の融資。
現在で言うODA(政府開発援助)であるが大正時代の借款は
目的が相手国への強い関与である。



