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    ジョサイヤ・コンドルと旧岩崎邸庭園

    ジョサイヤ・コンドルと旧岩崎邸庭園

    ジョサイヤ・コンドルと旧岩崎邸庭園

2026/05/13

ジョサイヤ・コンドルと旧岩崎邸庭園

ジョサイヤ・コンドルと旧岩崎邸庭園

ジョサイヤ・コンドルと旧岩崎邸庭園

ジョサイヤ・コンドルと旧岩崎邸庭園

こんにちは

軍艦島デジタルミュージアム 
近代史担当ガイドのトシです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか

今回は、東京上野の不忍池のすぐ近くにあります、旧岩崎邸庭園の
お話をしたいと思います。

としさん

旧岩崎邸庭園は,イギリスの建築家ジョサイヤ・コンドルの設計により、明治29(1896)年に
三菱財閥の三代目・岩崎久彌の本邸として建てられました。
三菱といえば、明治時代から三井財閥と競った大財閥。
当時は約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物がありましたが、
今はその約3分の1となり、洋館、大広間(和館)、撞球室(ビリヤード場)の3棟が現存しています。

としさん


としさん
芝庭を基本とした美しい近代庭園である。

としさん
コンドル設計撞球室(ビリーヤード場)

としさん


としさん


としさん


としさん


としさん

旧岩崎邸庭園(東京都台東区):17世紀の英国ジャコビアン様式を基調とした、華麗な洋館と和館。

 としさん


としさん
旧岩崎邸庭園は、日本の建築の父と呼ばれたジョサイヤ・コンドルが設計したものですが、
東京駅を設計した辰野金吾や,長崎の世界遺産「占勝閣」を設計した曽禰達蔵などを弟子として輩出しています。
この二人は明治日本を代表する建築家になるのですが、実は、この二人は唐津藩の同僚であり、耐恒寮という洋学校で英語を学んでおりました。そして二人に英語を教えたのがなんと後の第20代内閣総理大臣になる高橋是清だったのです。
ものすごい巡り合わせですね。

ジョサイア・コンドル(1852-1920)明治政府に招かれたイギリス人建築家で、日本近代建築の父と称されます。鹿鳴館やニコライ堂など数々の洋風建築を設計し、辰野金吾や曽禰達蔵ら、日本の建築界の指導者を育成しました。三菱の顧問として丸の内煉瓦街の形成にも貢献し、その建築は日本と西洋を融合した多様な様式が特徴です。
ジョサイヤ・コンドルは日本画を学び、日本人を妻とするなど、終生日本を愛した建築家でした。
tおし

 曽禰 達蔵(そね・たつぞう)

曽禰達蔵は日本の建築家。 同郷の辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。「一丁ロンドン」と呼ばれた丸の内の三菱系貸事務所建築群の設計に関わった。のち後輩の中條精一郎とともに設計事務所を開設し、慶応義塾図書館、鹿児島県庁舎本館、明治屋京橋ビルなどを設計した。日本造家学会創立委員・会長。


辰野金吾(たつのきんご)

辰野金吾は東京駅や日本銀行本店など、日本を代表する名建築を手掛けたことで知られる辰野金吾。2019年に没後100年を迎えたこともあり、改めてその作品に注目が集まっています。彼が活躍した時代、すなわち明治~大正時代といえば、日本が急速に西洋化していった頃。辰野金吾が設計した近代的な建築は、新時代を象徴するものでした。

 としさん
※辰野金吾の指導のもと愛弟子田中実が設計した唐津銀行

tおし
旧唐津銀行内装
明治維新を契機に社会の近代化が積極的に進められるなか、唐津では明治4(1871)年に洋学校「耐恒寮(たいこうりょう)」が開設され、藩士の子弟に英語教育や洋式教練が行われました。このとき、アメリカへの渡航経験を買われて英語教師として赴任したのが、のちに大蔵大臣や内閣総理大臣を務めることになる高橋是清でした。高橋是清から薫陶を受けた教え子の中からは、近代日本建築の発展をけん引した辰野金吾や曽禰達蔵、九州の炭鉱開発に功績を残した麻生政包、唐津地域の経済・産業界の発展に尽くした大島小太郎、経済学者・天野為之などの人材が輩出されました。         にちぎんクオータリー参照

 高橋是清【たかはしこれきよ】
高橋是清の人生は波乱万丈でした。米国留学時代は手違いで奴隷に売られてしまいました。帰国後は、英語教師をした後、農商務省の官吏となって特許局長にまで昇進しました。そして、副総裁時代には日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させ、1911年(明治44年)に総裁に就任しました。総裁を1年8か月務めた後は政界に身を投じ、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回(うち1回は総理大臣との兼任)務めるなどの活躍をしました。 

 

それでは

そろそろ

次のブログでお会いしましょう

軍艦島デジタルミュージアム近代史ガイド

近代史担当 トシでした。

 

 

 

 

 




 

こんにちは

軍艦島デジタルミュージアム 
近代史担当ガイドのトシです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか

今回は、東京上野の不忍池のすぐ近くにあります、旧岩崎邸庭園の
お話をしたいと思います。

としさん

旧岩崎邸庭園は,イギリスの建築家ジョサイヤ・コンドルの設計により、明治29(1896)年に
三菱財閥の三代目・岩崎久彌の本邸として建てられました。
三菱といえば、明治時代から三井財閥と競った大財閥。
当時は約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物がありましたが、
今はその約3分の1となり、洋館、大広間(和館)、撞球室(ビリヤード場)の3棟が現存しています。

としさん


としさん
芝庭を基本とした美しい近代庭園である。

としさん
コンドル設計撞球室(ビリーヤード場)

としさん


としさん


としさん


としさん


としさん

旧岩崎邸庭園(東京都台東区):17世紀の英国ジャコビアン様式を基調とした、華麗な洋館と和館。

 としさん


としさん
旧岩崎邸庭園は、日本の建築の父と呼ばれたジョサイヤ・コンドルが設計したものですが、
東京駅を設計した辰野金吾や,長崎の世界遺産「占勝閣」を設計した曽禰達蔵などを弟子として輩出しています。
この二人は明治日本を代表する建築家になるのですが、実は、この二人は唐津藩の同僚であり、耐恒寮という洋学校で英語を学んでおりました。そして二人に英語を教えたのがなんと後の第20代内閣総理大臣になる高橋是清だったのです。
ものすごい巡り合わせですね。

ジョサイア・コンドル(1852-1920)明治政府に招かれたイギリス人建築家で、日本近代建築の父と称されます。鹿鳴館やニコライ堂など数々の洋風建築を設計し、辰野金吾や曽禰達蔵ら、日本の建築界の指導者を育成しました。三菱の顧問として丸の内煉瓦街の形成にも貢献し、その建築は日本と西洋を融合した多様な様式が特徴です。
ジョサイヤ・コンドルは日本画を学び、日本人を妻とするなど、終生日本を愛した建築家でした。
tおし

 曽禰 達蔵(そね・たつぞう)

曽禰達蔵は日本の建築家。 同郷の辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。「一丁ロンドン」と呼ばれた丸の内の三菱系貸事務所建築群の設計に関わった。のち後輩の中條精一郎とともに設計事務所を開設し、慶応義塾図書館、鹿児島県庁舎本館、明治屋京橋ビルなどを設計した。日本造家学会創立委員・会長。


辰野金吾(たつのきんご)

辰野金吾は東京駅や日本銀行本店など、日本を代表する名建築を手掛けたことで知られる辰野金吾。2019年に没後100年を迎えたこともあり、改めてその作品に注目が集まっています。彼が活躍した時代、すなわち明治~大正時代といえば、日本が急速に西洋化していった頃。辰野金吾が設計した近代的な建築は、新時代を象徴するものでした。

 としさん
※辰野金吾の指導のもと愛弟子田中実が設計した唐津銀行

tおし
旧唐津銀行内装
明治維新を契機に社会の近代化が積極的に進められるなか、唐津では明治4(1871)年に洋学校「耐恒寮(たいこうりょう)」が開設され、藩士の子弟に英語教育や洋式教練が行われました。このとき、アメリカへの渡航経験を買われて英語教師として赴任したのが、のちに大蔵大臣や内閣総理大臣を務めることになる高橋是清でした。高橋是清から薫陶を受けた教え子の中からは、近代日本建築の発展をけん引した辰野金吾や曽禰達蔵、九州の炭鉱開発に功績を残した麻生政包、唐津地域の経済・産業界の発展に尽くした大島小太郎、経済学者・天野為之などの人材が輩出されました。         にちぎんクオータリー参照

 高橋是清【たかはしこれきよ】
高橋是清の人生は波乱万丈でした。米国留学時代は手違いで奴隷に売られてしまいました。帰国後は、英語教師をした後、農商務省の官吏となって特許局長にまで昇進しました。そして、副総裁時代には日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させ、1911年(明治44年)に総裁に就任しました。総裁を1年8か月務めた後は政界に身を投じ、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回(うち1回は総理大臣との兼任)務めるなどの活躍をしました。 

 

それでは

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近代史担当 トシでした。

 

 

 

 

 




 

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軍艦島デジタルミュージアム 
近代史担当ガイドのトシです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか

今回は、東京上野の不忍池のすぐ近くにあります、旧岩崎邸庭園の
お話をしたいと思います。

としさん

旧岩崎邸庭園は,イギリスの建築家ジョサイヤ・コンドルの設計により、明治29(1896)年に
三菱財閥の三代目・岩崎久彌の本邸として建てられました。
三菱といえば、明治時代から三井財閥と競った大財閥。
当時は約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物がありましたが、
今はその約3分の1となり、洋館、大広間(和館)、撞球室(ビリヤード場)の3棟が現存しています。

としさん


としさん
芝庭を基本とした美しい近代庭園である。

としさん
コンドル設計撞球室(ビリーヤード場)

としさん


としさん


としさん


としさん


としさん

旧岩崎邸庭園(東京都台東区):17世紀の英国ジャコビアン様式を基調とした、華麗な洋館と和館。

 としさん


としさん
旧岩崎邸庭園は、日本の建築の父と呼ばれたジョサイヤ・コンドルが設計したものですが、
東京駅を設計した辰野金吾や,長崎の世界遺産「占勝閣」を設計した曽禰達蔵などを弟子として輩出しています。
この二人は明治日本を代表する建築家になるのですが、実は、この二人は唐津藩の同僚であり、耐恒寮という洋学校で英語を学んでおりました。そして二人に英語を教えたのがなんと後の第20代内閣総理大臣になる高橋是清だったのです。
ものすごい巡り合わせですね。

ジョサイア・コンドル(1852-1920)明治政府に招かれたイギリス人建築家で、日本近代建築の父と称されます。鹿鳴館やニコライ堂など数々の洋風建築を設計し、辰野金吾や曽禰達蔵ら、日本の建築界の指導者を育成しました。三菱の顧問として丸の内煉瓦街の形成にも貢献し、その建築は日本と西洋を融合した多様な様式が特徴です。
ジョサイヤ・コンドルは日本画を学び、日本人を妻とするなど、終生日本を愛した建築家でした。
tおし

 曽禰 達蔵(そね・たつぞう)

曽禰達蔵は日本の建築家。 同郷の辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。「一丁ロンドン」と呼ばれた丸の内の三菱系貸事務所建築群の設計に関わった。のち後輩の中條精一郎とともに設計事務所を開設し、慶応義塾図書館、鹿児島県庁舎本館、明治屋京橋ビルなどを設計した。日本造家学会創立委員・会長。


辰野金吾(たつのきんご)

辰野金吾は東京駅や日本銀行本店など、日本を代表する名建築を手掛けたことで知られる辰野金吾。2019年に没後100年を迎えたこともあり、改めてその作品に注目が集まっています。彼が活躍した時代、すなわち明治~大正時代といえば、日本が急速に西洋化していった頃。辰野金吾が設計した近代的な建築は、新時代を象徴するものでした。

 としさん
※辰野金吾の指導のもと愛弟子田中実が設計した唐津銀行

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旧唐津銀行内装
明治維新を契機に社会の近代化が積極的に進められるなか、唐津では明治4(1871)年に洋学校「耐恒寮(たいこうりょう)」が開設され、藩士の子弟に英語教育や洋式教練が行われました。このとき、アメリカへの渡航経験を買われて英語教師として赴任したのが、のちに大蔵大臣や内閣総理大臣を務めることになる高橋是清でした。高橋是清から薫陶を受けた教え子の中からは、近代日本建築の発展をけん引した辰野金吾や曽禰達蔵、九州の炭鉱開発に功績を残した麻生政包、唐津地域の経済・産業界の発展に尽くした大島小太郎、経済学者・天野為之などの人材が輩出されました。         にちぎんクオータリー参照

 高橋是清【たかはしこれきよ】
高橋是清の人生は波乱万丈でした。米国留学時代は手違いで奴隷に売られてしまいました。帰国後は、英語教師をした後、農商務省の官吏となって特許局長にまで昇進しました。そして、副総裁時代には日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させ、1911年(明治44年)に総裁に就任しました。総裁を1年8か月務めた後は政界に身を投じ、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回(うち1回は総理大臣との兼任)務めるなどの活躍をしました。 

 

それでは

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近代史担当ガイドのトシです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか

今回は、東京上野の不忍池のすぐ近くにあります、旧岩崎邸庭園の
お話をしたいと思います。

としさん

旧岩崎邸庭園は,イギリスの建築家ジョサイヤ・コンドルの設計により、明治29(1896)年に
三菱財閥の三代目・岩崎久彌の本邸として建てられました。
三菱といえば、明治時代から三井財閥と競った大財閥。
当時は約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物がありましたが、
今はその約3分の1となり、洋館、大広間(和館)、撞球室(ビリヤード場)の3棟が現存しています。

としさん


としさん
芝庭を基本とした美しい近代庭園である。

としさん
コンドル設計撞球室(ビリーヤード場)

としさん


としさん


としさん


としさん


としさん

旧岩崎邸庭園(東京都台東区):17世紀の英国ジャコビアン様式を基調とした、華麗な洋館と和館。

 としさん


としさん
旧岩崎邸庭園は、日本の建築の父と呼ばれたジョサイヤ・コンドルが設計したものですが、
東京駅を設計した辰野金吾や,長崎の世界遺産「占勝閣」を設計した曽禰達蔵などを弟子として輩出しています。
この二人は明治日本を代表する建築家になるのですが、実は、この二人は唐津藩の同僚であり、耐恒寮という洋学校で英語を学んでおりました。そして二人に英語を教えたのがなんと後の第20代内閣総理大臣になる高橋是清だったのです。
ものすごい巡り合わせですね。

ジョサイア・コンドル(1852-1920)明治政府に招かれたイギリス人建築家で、日本近代建築の父と称されます。鹿鳴館やニコライ堂など数々の洋風建築を設計し、辰野金吾や曽禰達蔵ら、日本の建築界の指導者を育成しました。三菱の顧問として丸の内煉瓦街の形成にも貢献し、その建築は日本と西洋を融合した多様な様式が特徴です。
ジョサイヤ・コンドルは日本画を学び、日本人を妻とするなど、終生日本を愛した建築家でした。
tおし

 曽禰 達蔵(そね・たつぞう)

曽禰達蔵は日本の建築家。 同郷の辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。「一丁ロンドン」と呼ばれた丸の内の三菱系貸事務所建築群の設計に関わった。のち後輩の中條精一郎とともに設計事務所を開設し、慶応義塾図書館、鹿児島県庁舎本館、明治屋京橋ビルなどを設計した。日本造家学会創立委員・会長。


辰野金吾(たつのきんご)

辰野金吾は東京駅や日本銀行本店など、日本を代表する名建築を手掛けたことで知られる辰野金吾。2019年に没後100年を迎えたこともあり、改めてその作品に注目が集まっています。彼が活躍した時代、すなわち明治~大正時代といえば、日本が急速に西洋化していった頃。辰野金吾が設計した近代的な建築は、新時代を象徴するものでした。

 としさん
※辰野金吾の指導のもと愛弟子田中実が設計した唐津銀行

tおし
旧唐津銀行内装
明治維新を契機に社会の近代化が積極的に進められるなか、唐津では明治4(1871)年に洋学校「耐恒寮(たいこうりょう)」が開設され、藩士の子弟に英語教育や洋式教練が行われました。このとき、アメリカへの渡航経験を買われて英語教師として赴任したのが、のちに大蔵大臣や内閣総理大臣を務めることになる高橋是清でした。高橋是清から薫陶を受けた教え子の中からは、近代日本建築の発展をけん引した辰野金吾や曽禰達蔵、九州の炭鉱開発に功績を残した麻生政包、唐津地域の経済・産業界の発展に尽くした大島小太郎、経済学者・天野為之などの人材が輩出されました。         にちぎんクオータリー参照

 高橋是清【たかはしこれきよ】
高橋是清の人生は波乱万丈でした。米国留学時代は手違いで奴隷に売られてしまいました。帰国後は、英語教師をした後、農商務省の官吏となって特許局長にまで昇進しました。そして、副総裁時代には日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させ、1911年(明治44年)に総裁に就任しました。総裁を1年8か月務めた後は政界に身を投じ、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回(うち1回は総理大臣との兼任)務めるなどの活躍をしました。 

 

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