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    気になっていたことが分りました!!

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2023/04/05

気になっていたことが分りました!!

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気になっていたことが分りました!!

気になっていたことが分りました!!

春三月、日増しに気温も上昇してきて


先日開花した長崎の 桜も今が見頃となって来ました。


皆さんの所は 如何ですか?


そして、長崎にも豪華客船が 埠頭に戻ってきました。

みのる

あのダイヤモンドプリンセス号が長崎に姿を見せに帰って来てくれました。


色々あった船ですが、やはり姿を見ると懐かしく感じるのは


私だけでしょうか?



また、先週スタッフの桑がブログに書いた 


先頃ミュージアムにオープンした カフェのコーヒーに


ドハマリしているナビゲーター木下です。




私は、以前から三ツ瀬炭層がどの様になっていたのか


色んな資料を読んでも良くわからなかったのです。


昔の端島炭鉱の様子は ミュージアムのコンテンツにもある様に


急傾斜で、坑内環境も、足場も悪いなど

劣悪な環境で採炭が行われていたのは、良く理解していました。



みのる



今回、昭和41年から44年まで端島炭鉱の工作課に勤務されていた


「田中實夫」さんと言う方から三ツ瀬炭層の様子を伺うことが出来ました。


私は、昭和39年の火災事故で最先端(海底1000m)付近の現場を水没させたので、


海底800~900m付近から、島の南西にある三ツ瀬の方に


掘り進んでいたとばかり思っていました。


ところが田中さんのお話によると、


三ツ瀬炭層は海底−340m付近を掘り進み、約半年をかけてみつけた炭層で


すり鉢状で以前の様に急傾斜ではなく、緩やかになっており


機械で採炭ができる様になっていたので、人員が少なくても


採炭量も3万5千トンという、歴代最高の採炭量を記録することが出来たそうです。


みのる

しかも端島炭鉱の石炭は、100%原料炭で


石油価格競争にも負けることなく、閉山まで黒字操業が出来たそうです。


採炭可能な石炭のすべてを掘りつくしての閉山だったとのこと。




今回ずっと気になっていたことが理解できてスッキリしました。



また戦後すぐの端島炭鉱にて、三菱の下請けで「ハザマ組」


という会社で働いていた現在95歳になる「本田孝義」さんに


ミュージアムでお話を伺うことが出来ました。


本田さんの話によると、当時の端島炭鉱は


「岩盤を掘るだけの人」と「石炭を掘る人」とが分れていて、


炭層に岩盤が出てくるとハザマ組の鉱員さんたちが岩盤を掘り、


炭層が出てくると石炭を掘る人たちと交代していたそうです。


端島炭鉱の採炭方法も色々あったんだと今回は本当に勉強になりました。





最後までお付き合い頂きありがとうございました。



ナビゲーター木下でした。

春三月、日増しに気温も上昇してきて


先日開花した長崎の 桜も今が見頃となって来ました。


皆さんの所は 如何ですか?


そして、長崎にも豪華客船が 埠頭に戻ってきました。

みのる

あのダイヤモンドプリンセス号が長崎に姿を見せに帰って来てくれました。


色々あった船ですが、やはり姿を見ると懐かしく感じるのは


私だけでしょうか?



また、先週スタッフの桑がブログに書いた 


先頃ミュージアムにオープンした カフェのコーヒーに


ドハマリしているナビゲーター木下です。




私は、以前から三ツ瀬炭層がどの様になっていたのか


色んな資料を読んでも良くわからなかったのです。


昔の端島炭鉱の様子は ミュージアムのコンテンツにもある様に


急傾斜で、坑内環境も、足場も悪いなど

劣悪な環境で採炭が行われていたのは、良く理解していました。



みのる



今回、昭和41年から44年まで端島炭鉱の工作課に勤務されていた


「田中實夫」さんと言う方から三ツ瀬炭層の様子を伺うことが出来ました。


私は、昭和39年の火災事故で最先端(海底1000m)付近の現場を水没させたので、


海底800~900m付近から、島の南西にある三ツ瀬の方に


掘り進んでいたとばかり思っていました。


ところが田中さんのお話によると、


三ツ瀬炭層は海底−340m付近を掘り進み、約半年をかけてみつけた炭層で


すり鉢状で以前の様に急傾斜ではなく、緩やかになっており


機械で採炭ができる様になっていたので、人員が少なくても


採炭量も3万5千トンという、歴代最高の採炭量を記録することが出来たそうです。


みのる

しかも端島炭鉱の石炭は、100%原料炭で


石油価格競争にも負けることなく、閉山まで黒字操業が出来たそうです。


採炭可能な石炭のすべてを掘りつくしての閉山だったとのこと。




今回ずっと気になっていたことが理解できてスッキリしました。



また戦後すぐの端島炭鉱にて、三菱の下請けで「ハザマ組」


という会社で働いていた現在95歳になる「本田孝義」さんに


ミュージアムでお話を伺うことが出来ました。


本田さんの話によると、当時の端島炭鉱は


「岩盤を掘るだけの人」と「石炭を掘る人」とが分れていて、


炭層に岩盤が出てくるとハザマ組の鉱員さんたちが岩盤を掘り、


炭層が出てくると石炭を掘る人たちと交代していたそうです。


端島炭鉱の採炭方法も色々あったんだと今回は本当に勉強になりました。





最後までお付き合い頂きありがとうございました。



ナビゲーター木下でした。

春三月、日増しに気温も上昇してきて


先日開花した長崎の 桜も今が見頃となって来ました。


皆さんの所は 如何ですか?


そして、長崎にも豪華客船が 埠頭に戻ってきました。

みのる

あのダイヤモンドプリンセス号が長崎に姿を見せに帰って来てくれました。


色々あった船ですが、やはり姿を見ると懐かしく感じるのは


私だけでしょうか?



また、先週スタッフの桑がブログに書いた 


先頃ミュージアムにオープンした カフェのコーヒーに


ドハマリしているナビゲーター木下です。




私は、以前から三ツ瀬炭層がどの様になっていたのか


色んな資料を読んでも良くわからなかったのです。


昔の端島炭鉱の様子は ミュージアムのコンテンツにもある様に


急傾斜で、坑内環境も、足場も悪いなど

劣悪な環境で採炭が行われていたのは、良く理解していました。



みのる



今回、昭和41年から44年まで端島炭鉱の工作課に勤務されていた


「田中實夫」さんと言う方から三ツ瀬炭層の様子を伺うことが出来ました。


私は、昭和39年の火災事故で最先端(海底1000m)付近の現場を水没させたので、


海底800~900m付近から、島の南西にある三ツ瀬の方に


掘り進んでいたとばかり思っていました。


ところが田中さんのお話によると、


三ツ瀬炭層は海底−340m付近を掘り進み、約半年をかけてみつけた炭層で


すり鉢状で以前の様に急傾斜ではなく、緩やかになっており


機械で採炭ができる様になっていたので、人員が少なくても


採炭量も3万5千トンという、歴代最高の採炭量を記録することが出来たそうです。


みのる

しかも端島炭鉱の石炭は、100%原料炭で


石油価格競争にも負けることなく、閉山まで黒字操業が出来たそうです。


採炭可能な石炭のすべてを掘りつくしての閉山だったとのこと。




今回ずっと気になっていたことが理解できてスッキリしました。



また戦後すぐの端島炭鉱にて、三菱の下請けで「ハザマ組」


という会社で働いていた現在95歳になる「本田孝義」さんに


ミュージアムでお話を伺うことが出来ました。


本田さんの話によると、当時の端島炭鉱は


「岩盤を掘るだけの人」と「石炭を掘る人」とが分れていて、


炭層に岩盤が出てくるとハザマ組の鉱員さんたちが岩盤を掘り、


炭層が出てくると石炭を掘る人たちと交代していたそうです。


端島炭鉱の採炭方法も色々あったんだと今回は本当に勉強になりました。





最後までお付き合い頂きありがとうございました。



ナビゲーター木下でした。

春三月、日増しに気温も上昇してきて


先日開花した長崎の 桜も今が見頃となって来ました。


皆さんの所は 如何ですか?


そして、長崎にも豪華客船が 埠頭に戻ってきました。

みのる

あのダイヤモンドプリンセス号が長崎に姿を見せに帰って来てくれました。


色々あった船ですが、やはり姿を見ると懐かしく感じるのは


私だけでしょうか?



また、先週スタッフの桑がブログに書いた 


先頃ミュージアムにオープンした カフェのコーヒーに


ドハマリしているナビゲーター木下です。




私は、以前から三ツ瀬炭層がどの様になっていたのか


色んな資料を読んでも良くわからなかったのです。


昔の端島炭鉱の様子は ミュージアムのコンテンツにもある様に


急傾斜で、坑内環境も、足場も悪いなど

劣悪な環境で採炭が行われていたのは、良く理解していました。



みのる



今回、昭和41年から44年まで端島炭鉱の工作課に勤務されていた


「田中實夫」さんと言う方から三ツ瀬炭層の様子を伺うことが出来ました。


私は、昭和39年の火災事故で最先端(海底1000m)付近の現場を水没させたので、


海底800~900m付近から、島の南西にある三ツ瀬の方に


掘り進んでいたとばかり思っていました。


ところが田中さんのお話によると、


三ツ瀬炭層は海底−340m付近を掘り進み、約半年をかけてみつけた炭層で


すり鉢状で以前の様に急傾斜ではなく、緩やかになっており


機械で採炭ができる様になっていたので、人員が少なくても


採炭量も3万5千トンという、歴代最高の採炭量を記録することが出来たそうです。


みのる

しかも端島炭鉱の石炭は、100%原料炭で


石油価格競争にも負けることなく、閉山まで黒字操業が出来たそうです。


採炭可能な石炭のすべてを掘りつくしての閉山だったとのこと。




今回ずっと気になっていたことが理解できてスッキリしました。



また戦後すぐの端島炭鉱にて、三菱の下請けで「ハザマ組」


という会社で働いていた現在95歳になる「本田孝義」さんに


ミュージアムでお話を伺うことが出来ました。


本田さんの話によると、当時の端島炭鉱は


「岩盤を掘るだけの人」と「石炭を掘る人」とが分れていて、


炭層に岩盤が出てくるとハザマ組の鉱員さんたちが岩盤を掘り、


炭層が出てくると石炭を掘る人たちと交代していたそうです。


端島炭鉱の採炭方法も色々あったんだと今回は本当に勉強になりました。





最後までお付き合い頂きありがとうございました。



ナビゲーター木下でした。

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