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2023/08/25

屋上農園について

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屋上農園について

もう夏休みも終わりますね、皆さん今年の夏はどう過ごされましたか?


子供達も自由研究の製作に、必死になってる頃でしようね!


私の子供の頃の宿題といえば「夏休みの友」オンリーでした。


それでも、宿題が最後まで出来ず、よく親に怒られていました。


さて、皆さんの夏休みの宿題の一つが昆虫採集・・・


良くやられていた方もいらしゃると思いますが


この端島では、その昆虫採集が出来なかったのです


というのも、元々端島は岩礁で出来ており山ではありません


ですから、トンボは飛んでいますが、他の昆虫がいないのです。


だから、私が住んでいた頃は自然の植物や昆虫に、


興味がありませんでした。というよりも目の前にないものは


興味の持ちようもなかったというのが、本音です。





そこで、これではいけないと言う事で、端島では・・・


国内初の屋上農園(青空農園)が作られました
みのる

青空農園は、1996年(昭和41年)~1967年(昭和42年)に


子供達の教育目的で、青空子供会とPTAが中心となって


日給社宅18号棟の屋上に農園が出来上がりました。


元々端島はコンクリートで固められた鉄筋高層アパートが林立し


土の部分と言えば、宮ノ下と呼ばれていた56号棟と57号棟の間に


僅かにあったと記憶している、しかも島民の中には


「緑なき島」と呼ばれていた島を「緑したたる島」にしたいとの


強い思いもあって昭和38年に端島園芸同窓会を発足させ


園芸の講習会や研修などを行い、島の緑化運動を進め


島に温室を作るなどの成果を上げていました。
みのる


しかし、端島で生まれ育った子供たちは、自然生物に対する


関心度が少なく自然環境の恩恵を受けられない子供達を


懸念した人達が、会社や組合も協力して長崎市へ土の供給を依頼


当時建設中だった三菱重工長崎造船所香焼工場の土の供給を承諾され


船着き場に着いた土を、子供達や親達がバケツ一杯ずつ
みのる

18号棟の防水シートが敷かれた屋上に運び込まれ、農園が完成!


そこに、トマト、キュウリ、ナスなどの種をまき、水やり、雑草取りなど


生育過程の困難さを学びながら、
みのる

収穫時には学校の先生なども呼んで


収穫パーティーが行われ昭和42年には、水田を作り収穫したもち米で

みのる

端島神社に奉納されたそうです。




最後までお読みいただきありがとうございました。

ナビゲーター木下でした。



















もう夏休みも終わりますね、皆さん今年の夏はどう過ごされましたか?


子供達も自由研究の製作に、必死になってる頃でしようね!


私の子供の頃の宿題といえば「夏休みの友」オンリーでした。


それでも、宿題が最後まで出来ず、よく親に怒られていました。


さて、皆さんの夏休みの宿題の一つが昆虫採集・・・


良くやられていた方もいらしゃると思いますが


この端島では、その昆虫採集が出来なかったのです


というのも、元々端島は岩礁で出来ており山ではありません


ですから、トンボは飛んでいますが、他の昆虫がいないのです。


だから、私が住んでいた頃は自然の植物や昆虫に、


興味がありませんでした。というよりも目の前にないものは


興味の持ちようもなかったというのが、本音です。





そこで、これではいけないと言う事で、端島では・・・


国内初の屋上農園(青空農園)が作られました
みのる

青空農園は、1996年(昭和41年)~1967年(昭和42年)に


子供達の教育目的で、青空子供会とPTAが中心となって


日給社宅18号棟の屋上に農園が出来上がりました。


元々端島はコンクリートで固められた鉄筋高層アパートが林立し


土の部分と言えば、宮ノ下と呼ばれていた56号棟と57号棟の間に


僅かにあったと記憶している、しかも島民の中には


「緑なき島」と呼ばれていた島を「緑したたる島」にしたいとの


強い思いもあって昭和38年に端島園芸同窓会を発足させ


園芸の講習会や研修などを行い、島の緑化運動を進め


島に温室を作るなどの成果を上げていました。
みのる


しかし、端島で生まれ育った子供たちは、自然生物に対する


関心度が少なく自然環境の恩恵を受けられない子供達を


懸念した人達が、会社や組合も協力して長崎市へ土の供給を依頼


当時建設中だった三菱重工長崎造船所香焼工場の土の供給を承諾され


船着き場に着いた土を、子供達や親達がバケツ一杯ずつ
みのる

18号棟の防水シートが敷かれた屋上に運び込まれ、農園が完成!


そこに、トマト、キュウリ、ナスなどの種をまき、水やり、雑草取りなど


生育過程の困難さを学びながら、
みのる

収穫時には学校の先生なども呼んで


収穫パーティーが行われ昭和42年には、水田を作り収穫したもち米で

みのる

端島神社に奉納されたそうです。




最後までお読みいただきありがとうございました。

ナビゲーター木下でした。



















もう夏休みも終わりますね、皆さん今年の夏はどう過ごされましたか?


子供達も自由研究の製作に、必死になってる頃でしようね!


私の子供の頃の宿題といえば「夏休みの友」オンリーでした。


それでも、宿題が最後まで出来ず、よく親に怒られていました。


さて、皆さんの夏休みの宿題の一つが昆虫採集・・・


良くやられていた方もいらしゃると思いますが


この端島では、その昆虫採集が出来なかったのです


というのも、元々端島は岩礁で出来ており山ではありません


ですから、トンボは飛んでいますが、他の昆虫がいないのです。


だから、私が住んでいた頃は自然の植物や昆虫に、


興味がありませんでした。というよりも目の前にないものは


興味の持ちようもなかったというのが、本音です。





そこで、これではいけないと言う事で、端島では・・・


国内初の屋上農園(青空農園)が作られました
みのる

青空農園は、1996年(昭和41年)~1967年(昭和42年)に


子供達の教育目的で、青空子供会とPTAが中心となって


日給社宅18号棟の屋上に農園が出来上がりました。


元々端島はコンクリートで固められた鉄筋高層アパートが林立し


土の部分と言えば、宮ノ下と呼ばれていた56号棟と57号棟の間に


僅かにあったと記憶している、しかも島民の中には


「緑なき島」と呼ばれていた島を「緑したたる島」にしたいとの


強い思いもあって昭和38年に端島園芸同窓会を発足させ


園芸の講習会や研修などを行い、島の緑化運動を進め


島に温室を作るなどの成果を上げていました。
みのる


しかし、端島で生まれ育った子供たちは、自然生物に対する


関心度が少なく自然環境の恩恵を受けられない子供達を


懸念した人達が、会社や組合も協力して長崎市へ土の供給を依頼


当時建設中だった三菱重工長崎造船所香焼工場の土の供給を承諾され


船着き場に着いた土を、子供達や親達がバケツ一杯ずつ
みのる

18号棟の防水シートが敷かれた屋上に運び込まれ、農園が完成!


そこに、トマト、キュウリ、ナスなどの種をまき、水やり、雑草取りなど


生育過程の困難さを学びながら、
みのる

収穫時には学校の先生なども呼んで


収穫パーティーが行われ昭和42年には、水田を作り収穫したもち米で

みのる

端島神社に奉納されたそうです。




最後までお読みいただきありがとうございました。

ナビゲーター木下でした。



















もう夏休みも終わりますね、皆さん今年の夏はどう過ごされましたか?


子供達も自由研究の製作に、必死になってる頃でしようね!


私の子供の頃の宿題といえば「夏休みの友」オンリーでした。


それでも、宿題が最後まで出来ず、よく親に怒られていました。


さて、皆さんの夏休みの宿題の一つが昆虫採集・・・


良くやられていた方もいらしゃると思いますが


この端島では、その昆虫採集が出来なかったのです


というのも、元々端島は岩礁で出来ており山ではありません


ですから、トンボは飛んでいますが、他の昆虫がいないのです。


だから、私が住んでいた頃は自然の植物や昆虫に、


興味がありませんでした。というよりも目の前にないものは


興味の持ちようもなかったというのが、本音です。





そこで、これではいけないと言う事で、端島では・・・


国内初の屋上農園(青空農園)が作られました
みのる

青空農園は、1996年(昭和41年)~1967年(昭和42年)に


子供達の教育目的で、青空子供会とPTAが中心となって


日給社宅18号棟の屋上に農園が出来上がりました。


元々端島はコンクリートで固められた鉄筋高層アパートが林立し


土の部分と言えば、宮ノ下と呼ばれていた56号棟と57号棟の間に


僅かにあったと記憶している、しかも島民の中には


「緑なき島」と呼ばれていた島を「緑したたる島」にしたいとの


強い思いもあって昭和38年に端島園芸同窓会を発足させ


園芸の講習会や研修などを行い、島の緑化運動を進め


島に温室を作るなどの成果を上げていました。
みのる


しかし、端島で生まれ育った子供たちは、自然生物に対する


関心度が少なく自然環境の恩恵を受けられない子供達を


懸念した人達が、会社や組合も協力して長崎市へ土の供給を依頼


当時建設中だった三菱重工長崎造船所香焼工場の土の供給を承諾され


船着き場に着いた土を、子供達や親達がバケツ一杯ずつ
みのる

18号棟の防水シートが敷かれた屋上に運び込まれ、農園が完成!


そこに、トマト、キュウリ、ナスなどの種をまき、水やり、雑草取りなど


生育過程の困難さを学びながら、
みのる

収穫時には学校の先生なども呼んで


収穫パーティーが行われ昭和42年には、水田を作り収穫したもち米で

みのる

端島神社に奉納されたそうです。




最後までお読みいただきありがとうございました。

ナビゲーター木下でした。



















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