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2026/07/29
続編「軍艦島の石炭が日本を救った」
続編「軍艦島の石炭が日本を救った」
続編「軍艦島の石炭が日本を救った」
続編「軍艦島の石炭が日本を救った」
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
前回のブログはこちらです ↓↓↓
https://www.gunkanjima-museum.jp/data/1013/detail/
明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
前回のブログはこちらです ↓↓↓
https://www.gunkanjima-museum.jp/data/1013/detail/
明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
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明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
前回のブログはこちらです ↓↓↓
https://www.gunkanjima-museum.jp/data/1013/detail/
明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
前回のブログはこちらです ↓↓↓
https://www.gunkanjima-museum.jp/data/1013/detail/
明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
前回のブログはこちらです ↓↓↓
https://www.gunkanjima-museum.jp/data/1013/detail/
明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
こんにちは
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
前回のブログはこちらです ↓↓↓
https://www.gunkanjima-museum.jp/data/1013/detail/
明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。
軍艦島デジタルミュージアムガイド、近代史担当の政次(まさつぐ)です。
今回は前回に発表したブログ「軍艦島の石炭が日本を救った」の続編として情報を書き足し、
自分の意見も交えていきたいと思っております。
前回のブログはこちらです ↓↓↓
https://www.gunkanjima-museum.jp/data/1013/detail/
明治日本の産業革命の前後(1900年)日本の取り巻く世界の情勢は、
アジア・アフリカ・中南米が次々と西洋列強の植民地の獲得競争に苦しんだ時代である。
もちろん、日本も例外ではなかったのですが、近代化を急ぐ日本にとって、自国で鉄を作るようになることが急務であった。

連合艦隊旗艦「三笠」
当時イギリスから購入し、最新鋭の性能を誇っていた。

1896年(明治29年)初代技監の大島道太郎は、製鉄所の実行計画の策定と設備機器を調達するため、
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ各国の製鉄関連施設を視察した。
1、本格的な西洋式製鉄所の完成
日清戦争を経て、増大する鉄の需要に応えるために北九州に設立されたのが官営の製鉄所です。
日清戦戦争に勝利しそれに伴う中国からの賠償金により八幡製鉄所は完成した。
官営八幡製鐵所(福岡県北九州市・中間市):1901年に操業を開始し、日本の重工業発展の礎となりました。
輸入に頼っていた国内の線路も1910年頃には鋼材生産量年産10万トンを超え、
国内鋼材年間生産量の90%以上を賄うようになりました。

伊藤博文や井上馨を囲み当時の炭鉱王・鉱山学者・鉱山技術者・ドイツから招いた製鉄技術者達




1910年 イギリスのロンドンでお開催された「日英博覧会」
この時日本は鉄の製品を作ってみせ、日本の製鋼技術の水準の高さを欧米諸国に認知されるようになりました。

2、鉄づくりを支えた石炭
製鉄には大量の石炭(コークス)が不可欠であり、製鉄業の発展は石炭産業の発展と表裏一体でした。
製鉄の原料炭は、八幡製鉄所の創業当時は全量国内炭(筑豊、高島、三池)で、
明治42年頃から北松炭、中国強粘結炭も使用したようです。
軍艦島 端島炭坑(強粘結炭):長崎県にある海底炭坑。
日本で最優良な原料炭を産出し、製鉄業をエネルギー面で支えました。
高島炭鉱(弱粘結炭)グラバーと岩崎弥太郎が協力して作った日本で最初に蒸気を使って採炭した炭鉱です。
軍艦島の兄貴分的存在です。
北松炭鉱(一部強粘結炭)北松炭田の特徴は佐世保地区南北に流れる佐々川を境に、
西北側が最も炭質の良い粘結炭が取れ、南東側が質の落ちる一般炭となっていました。
佐々川自体が断層となっており、影響を受けたものと考えられる。
江迎炭(えむかえ)、潜龍炭(せんりゅう)、世知原炭(せちばる)などが優良の原料炭(強粘結炭)となっている。
三池炭鉱(弱粘結炭)福岡県大牟田市など:日本最大級の炭鉱として、八幡製鐵所をはじめとする日本の産業に石炭を供給し続けた。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田 茨城無煙炭 大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、
日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
日本国内で無煙炭は貴重な資源であったため、大嶺炭田は「海軍の練炭」の原料として不可欠な存在でした。
筑豊炭田の石炭は、その大部分が燃料炭でしたが、中には、田川地区などでは、
火成岩の熱影響により石炭が変質し、粘結生が現れたケースも報告されています。

鋼鉄を作るには、鉄鉱石(酸化鉄)と石灰石、そして良質の粘結炭が必要です。
粘結炭を高温で蒸し焼きにすると還元力のあるコークスに変わる。
※粘結炭(原料炭)は、加熱した際に軟化・溶融して固まり、コークスになる石炭の総称です。
製鉄プロセスに欠かせない重要な資源であり、一番固まる力を持つのが軍艦島の石炭(強粘結炭)でした。
◉その粘結性の強さや性質によって主に以下の4種類に分類されます。
粘結炭の主な種類(日本製鉄株式会社参照)
1、強粘結炭(ハードコーキングコール)
特徴: 最も粘結性が高く、加熱すると大きく膨張して良質なコークスを作ります。
用途: 高炉で鉄鉱石を還元するための主原料として使用されます。
2、中粘結炭(ミディアムコーキングコール)
特徴: 強粘結炭に次ぐ粘結性を持つ石炭です。
用途: 単独または他とブレンドしてコークスを製造する際に使われます。
3、弱粘結炭(ウィークリーコーキングコール)
特徴: 粘結性が弱く、単独では強度の高いコークスを作ることができません。
用途: 他の強粘結炭や非粘結炭とブレンドすることで、全体の配合バランスを調整して使用されます。
4、非微粘結炭(セミソフトコーキングコール)
特徴: 粘結性が非常に弱いか、ほとんどない石炭(非粘結炭)に近い性質を持つ石炭です。
用途: コークス炉の運転コストを抑えるためや、配合の増量材として一定の割合を混ぜて使用されます。
製鉄所では、これら複数種類の石炭を最適な割合で混ぜ合わせることで、強度の高いコークスを効率的に生産しています。
日本は国内における無煙炭の産出量が極めて少ない。
国内では三大無煙炭は、天草炭田、茨城無煙炭、大嶺無煙炭田である。
特に山口県の大嶺炭田は日本を代表する無煙炭の産地でした。
軍艦島の炭鉱技術などでも知られる三菱が大嶺炭鉱を経営し、日露戦争中には海軍用の燃料として供給するために増産が図られました。
このように、軍艦島以外の石炭を研究することによって、
より軍艦島の「強粘結炭」の存在感が鮮明になってくる気がします。
軍艦島の石炭に魅了された者としてはさらなる勉強を続けていきたいと思う次第であります。
それでは、
そろそろ今回のテーマ「軍艦島の石炭が日本を救った。続編」終わりたいと思います。
次のブログでお会いしましょう。
軍艦島デジタルミュージアム ガイド
近代史担当 政次(まさつぐ)でした。



